40代無職中年男、ふたたびのアルバイト応募。そして不採用…【転職回顧録-管理職編13/15】

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ここまでのおさらいと今回のお話

退職後、私は家でゴロゴロして過ごす日々が続いていた。

しかし、いつまでもこんな生活をしているわけにはいかない。
妻の目もある。

そこで私は重い腰を上げてアルバイトを探すことにした。

はたして、40代無職男はアルバイトを見つけることができたのか?

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40代無職、会社を辞めてからの日々

退職した直後はどうもヤル気がおきず、ただ家でゴロゴロしていた。

しかし、いつまでも家でノンビリできるほど余裕があるわけではない。

年金や国保への切り替えに必要な書類もすぐには送られてこないだろうし、短期間での離職だから失業保険だって受給資格がない。

つまり、ハローワークに行く必要がない。

だからついついソファーに寝転んでスマホでネットサーフィンをして、気が付くとに夕方になっている。

働きもせず昼間っからゴロゴロして、なんとすばらしいご身分だろう。

しかしそんな状態を続くと自己嫌悪に陥ってくるので、せめて掃除をしたり、夕飯の準備をして妻の帰宅を待った。

こうなると私はもう専業主夫だと思う。

頭をよぎるのは「これからどうしよう、もう会社で働くのは無理なんじゃないか…」という思いばかり。

そして、ふと考えた。

「1年くらい帰省していないので、一度実家に顔を見せにいこう」

久々の帰省

そして私は帰省することにした。

久しぶりに会う両親は少し小さくなった気がする。

随分と心配をかけてしまっているとの負い目から、余計にそう感じるのかもしれない。

一年ぶりに両親と夕食をとりながら、とりとめのない話をした後、リビングで仕事を辞めるに至った経緯など、これまでのことを話した。

しかし、結局、パワハラが原因で仕事を辞めてしまったことへの理解は得られなかった。

こればかりは被害を受けた本人でなければ、その気持ちは分からない。

いくら親といっても仕方がないことなのだろう。

「サラリーマンに向いていないことに気付いた」ということを話すと、母は、「もう一度、サラリーマンとして頑張ってみてほしい」と懇願された。

きっと、私が今さら自営業など無理だと考えているのだろう。子を想う母親からすれば当然の心配だ。

その一方、父親は私に蕎麦屋をやれという。

なかなかユニークな発想だとは思うが、無茶苦茶である。

結局、実家には2週間くらい滞在したが、話がまとまるわけもなく、何をしにここへ来たのか分からないような状態だった。

ただ顔を見せに来ただけの帰省になってしまった。

「単に両親の不安を煽っただけなのではないだろうか?」そんな気持でいっぱいだった。

その後、東京に戻ってきたが、今のままでは生活できない

さすがにいつまでもこんな生活をしているわけにはいかないので、そろそろアルバイトでもしてみようかと思い始めた。

40代、失意のアルバイト探し

本当は、以前にアルバイトしていた塾に出戻ろうかとも考えた。

幸い、塾長からは困ったことがあったらいつでも連絡しておいでと声を掛けてもらっていた。

しかし、再就職が決まったことを理由に塾を辞めた手前、もう一度ここで働かせてほしいとは言い出せなかった。

プライドと言えばそうなのかもしれない。

そこで私は仕方なく他の求人を探すことにした。

最近ではありがたいことに、40代以降のミドル層をターゲットにした転職サイトがたくさんある。

そこで、できるかぎり体育会系のノリがなさそうなアルバイトを探してみた。

ヒットした案件は予想とおりというか、清掃や警備員といったものが多い。

決してこれらの仕事を卑下するわけではない。しかし、今までデスクワークばかりをしてきた人間が、いきなり過酷な肉体労働に耐えられるかどうか。

体力面を考慮しても怪しいものだ。

しかも、大学院まで修了した人間が、学歴を必要としない仕事に就くことに抵抗があった。

プライドを捨てきれていないのは十分わかっているが、全く理解されないというわけでもないだろう。

しかし、現状を考えると贅沢なことは言っていられない。

勤務地、仕事内容、年齢層などで2時間ほど悩み、まずは、近所にあるスポーツジムの求人に応募することにした。

私には全く無縁だった仕事だが、むしろその方が一からスタートできる気がした。

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面接の連絡と結果発表!

応募して連絡を待つこと一週間、ついに面接の連絡が来た。

さすがにアルバイトなら面接まで進むことができるな、などと思いながら、オフィスカジュアルでスポーツジムに向かった。

面接官は30代と思われる若い男性だった。

ここでの勤務は早朝シフトの可能性もあるという。なにせ私の家はここから自転車で数分の距離だ。問題ないと答えた。

そして私の履歴書を眺めたあと、ごくごく一般的な質問をされた。私も特に詰まることなく、無難に回答した。

先方の条件は全てクリアしているし、特に問題はないだろう。

十分な手応えを感じていた。

3日後、私に届いた手紙には「不採用」の文字が…

まだ若い館長からすれば、管理職経験もある私のような人間は扱いにくいと判断されたのだろう。

巷では40代以降の人材はアルバイトですら採用されにくくなっていると聞く。

今回の件も、まさにそのとおりだった。この調子だと先が思いやられる。

とはいえ、アルバイトの不採用くらいで凹んでいるわけにはいかない。

次はパソコン講師のアルバイトに申し込んでみることにした。

私にはSEの経験もあるし、WordやExcelの初歩的な使い方を教えるくらいであれば、それほど難しくはなさそうだ。

それに加えて、私には塾講師としての経験もある。これなら採用の可能性が高いと目論んでいた。

さっそく履歴書と職務経歴書を送付して、先方からの連絡を待つことにした。

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◆ 転職回顧録-管理職編14/16へ続く

いきなりの不採用通知。しかし私はめげることなく次の求人に応募することにした。

40代のアルバイト事情【転職回顧録-管理職編14/16】
私は仕方なく日雇いのバイトも探してみることにした。少し前まではこんなこととは無縁の生活を送っていたはずのに...まあ辞めたのは自分だし、文句を言えないのが歯がゆい。負のスパイラルにどんどん巻き込まれている気がした。日雇いのほうは割とすんなりと仕事が決まり、6時間ほど働けることになった。交通費は自腹。一日働いて数千円の対価を得る。なんとも情けない話だ。
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