【40代無職中年男の生活観】これって普通の感覚?変わってきた無職の価値観。

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今は働いていない。

では一体何をしているかというと、個人事業主になるまでの準備をしている、と言いたいところだが、役所に提出するための必要書類が会社から送られてこないので、それを待っている状況だ。
早く郵送してほしいのだが、少し時間がかかっているという。

これを充電期間として色々と今やれる作業をしているのだが、最近よく思うのは、働いている頃とは生活観がだいぶ変わってきたということだ。

それが如実に表れているのが金銭面だ。
当たり前といえば当たり前だが、倹約を心掛けるようになった。

例えばスーパーで買い物をするとき、1円でも安いものを買おうと思う。
しかし、それが行き過ぎて、「これを買うためには、どれくらいの労働をしなければならない?いくら商品を売らなければいけないか?」などと考えるようになってしまった。

それだけではなく、街で子供連れの父親を見ると、「この子がランドセルを買ったりおもちゃを買ったりするために、このお父さんはどれくらい働いているのだろう?」とか、家でパンを食べているとき、「なぜ働いてもいない私がパンを食べられるのだろう?」などの考えが頭をよぎる。

昔は会社帰りに外食したり、バーでちょっと一杯などということもあったが、今ではそんなことは滅多にない。そのための支出が惜しいのだ。
そのお金を捻出するためにはどれだけの労働が必要かを考えると、家で自炊することをついつい選んでしまう。
寝ている時でさえ、「なぜ、無職の私が暖かい布団で寝ることができるのか」などと考えてしまう。

もはや病気かもしれない。

お金のことを意識して行動することは当たり前のことなのだが、それが行き過ぎるとよくないのは自覚している。今の私のような考えばかりしていると、何もできなくなってしまう。

また、金銭面だけでなく、サラリーマンを見かけると卑屈になりがちだ。

「どうせ俺は社会のレールから外れてしまった落ちこぼれだ…」
しかし本当のところは、そういう道を自ら選んでしまってきた結果なのに。
もっと安定した働き方はあったのに、自らドロップアウトしてしまった。

では、なぜそうなったのか?
それは単なる逃げだったこともあったし、青い鳥を追いかけてしまったこともあった。会社の倒産という不可抗力もあった。
それらをひっくるめて、今の価値観や考え方は、これまでの経験に基づいているのだと実感する。

まだ個人事業主としてスタートしてはいないが、もう近々開始することになるだろう。
最初のうちは貯金を食いつぶすような生活が予想される。
本当にやっていけるのか不安は尽きない。

しかし、自然な気持ちで外食や買い物をすることができるようになった時、踏み外してしまった人生を、もとの正常な状態に戻すことができたと判断してよいのだろう。
そうすれば、失った自信も取り戻せる気がする。

はたして、今年の年末はどんな状態になっているか。
怖いような楽しみなような。

このブログを書くことでそうした不安を少しでも紛らわせたい。

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