やがて数日が経過
最終面接に落ちてから数日が経過した。
実はこの最終選考を受ける前、この仕事と非常によく似た別の求人を1件見つけていた。
ほぼ同じ職種といってもいい。
幸い、こちらの案件は某大手エージェントでの取り扱いがあったので、そちらで応募していた。
エージェントに自分の熱意と経験を伝えたものの、あえなく書類選考不通過のお知らせ。門前払い。きっと若い人材が欲しかったのだろう。
妻の反応
ネットを見ていると、まさに私が応募したこれらの求人が今も掲載されている。
きっといい人がいなかったのだろう。私なら経験をフルに活かして結果を出す自信はあったのに…。
若くて豊富な経験があり、大企業よりも中小企業を志望するスーパーマンのような人材をずっとずっと探し続ければいいんじゃないだろうか。
それにしても、全体の応募者数のうち、私はどのくらいの位置付けだったのだろう?そのあたりは気になるところだ。
完全に傷が癒えたとは言い難いが、それでもなんとか前を向き始めている。
ただ、この結果を妻にも伝えなければいけなかった。ずいぶんと期待してくれていただけに、彼女の落胆を見るのが非常に辛い。気が重い。
やがて晩になり、妻が帰宅した。
私:『 残念だけど、やっぱりだめだったよ。申し訳ない… 』
妻:『 お疲れ様。しょうがないね。人事の見る目がなかったんだよ。 』
こんなふがいない私にも彼女は優しかった。そのお礼というわけではないが、私は特製スープを作った。
そして一緒にソファーでテレビを見ながら世間話をしていると、少し気が楽になってきた。
やがて就寝時間になったので妻はベッドに向かったが、私はなぜか寝る気になれず、そのまま英語の勉強を始めることにした。
悔しさが今頃出てきたのかもしれない。とにかく何かせずにはいられなかった。勉強がひと段落して時計を見るともう3時。
さすがに寝るかと思い、スマホにイヤホンをつないでアプリで英文を流しながら寝ることにした。私が子供のころに流行った睡眠学習というやつだ。
朝起きたら耳が痛い。大丈夫かこれ?聴覚障害が残るんじゃないの?
ちょっぴり不安は残るし効果のほども分からないが、もう少しこの睡眠学習を続けてみることにした。
どうにかして最低限の英会話をマスターして今後の就職活動の幅を広げたい。
実家の反応
妻だけではなく、私の現状を心配している両親にも結果を報告してあげなければならない。これも非常に気が重い。
意を決して電話で最終面接の結果を伝えると、意外にも私が思っていたほど心配してはいない様子だった。
「まあ頑張れ」と励まされたくらいだ。
ただ、「人手不足と言われているのになかなか難しいもんだねえ」と不思議がってはいた。
世間一般的にはそうなのかもしれないが、ちょっとでも条件のいい仕事を探そうと思えば、依然として高い競争率を覚悟しなければいけない。
ところで最近、この現状をピッタリと言い表すユニークな格言をニュースで見た。
売り手市場 行きたいところは買い手市場
これを伝えると母は妙に納得しており、『東京は大変なんだねえ』と同情してくれた。
不安だらけの40代無職男
最近、有名人死去のニュースをよく目にする。年齢は両親のそれと近い。
そのたびに早く仕事を決めて安心させたいとの思いが強くなる。
もう待ったなしの状況なのに依然として先行きは不透明。別居のための引っ越しもある。
貯金の切り崩しもいつまでもつか分からない。このままだと、年明けにはアルバイトを始めないといけないが、はたしてそれさえも、うまくいくかどうか…
なかなかトンネルの出口が見えない。不安要素が色々とありすぎて頭がどうにかなりそうだ。
しかしこれは自分のキャリア設計の杜撰さが招いたもの。そのツケをいま払わされているような気がしてならない。
結婚して家庭を持ち、家を建てて老後を妻と穏やかに過ごすという当たり前に思っていた人生がこんなにも難しいなんて…
今後の展望
今の自分の目標は次の3つだ。
1.再就職
2.英語
3.資格取得
どれも時間がかかるし簡単ではないが、この3つをクリアすれば人生がなんとか前向きに進むはず。
それにこれらの実現のために忙しくしていれば、憂鬱な気分を紛らわせることもできるだろう。
正しい方法論で努力すれば何とかなりそうな気もするが、それが簡単にできれば苦労しないよとも思う。
ところで今、このブログには自分の不安や愚痴しか書いていない。
しかしなんとかこの苦境を脱して、苦しかった時の経験談やアドバイスを投稿できる日が来ればいいのにと思う。
こんな私が言うのもなんですが、無職の皆さん、頑張りましょう。
◆真・転職回顧録-再起動編 25/29へ続く
次回:底辺無職40代に立ちはだかる転職回数という壁
「死ぬ気になれば」何でもできる。
そう言いましたよね。なぜ、私がそのようなことを言ったのか、それはあなたが本気で死ぬ気で何かをやってみたことが無いということを感じたからです。
社会の厳しさを知って変わるだろうと思いましたが、根本では変わっていない。
面接官も同じことを感じたでしょう。
全力で何かを取り組み、失敗する。全てが報われないそういう職務経験がない。そうであるのに、「死ぬ気で」なにかをやる気もない。そんな人材が欲しいはずもありません。
敗者しか周りにいない状況であなた自身の考え方や身の振り方が同じ敗者のそれになっているということが、わかりませんか?
私も、『「死ぬ気」になってもできないことなんていくらだってある』に一票入れます。
少なくとも、「死ぬ気になれば何でもできる」をスローガンにする会社には入りたくないです(笑)
意識の甘さがすべて出ていますよね。このまま、生活保護を考える世界まで落ちて、この先20年30年世を恨み続けるか、変わるかそれはあなた次第です。
「敗者になることに理由がなくとも、そこから抜け出せないことには理由がある。」