【無職40代中年男の見る世界】ファミレスで感じる不安と焦燥感

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最近、よくファミレスを利用している。

今日もいつものファミレスに来た。

田舎ということもあり実家は静かすぎるし、居心地が悪い。私にはある程度の騒音があったほうが集中できるようだ。

ドリンクバーを注文し、ここで数時間ほど粘る。

世間はまだGWなので店員の目はそれほど気にならないが、明日・明後日は厳しい。

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客で込み合う中、ドリンクバーで何時間も粘ることに罪悪感を抱いているわけではない。

私が店員からどのような目で見られているかが気になるのだ。

いい歳した中年が平日の昼間になぜファミレスに来ているのだろうといぶかしがられるに違いないからだ。

毎回、違う店員ならまだよいが、ここ数日は同じ店員だ。

私が座る席は主に窓際。二人用のこの席からは店内がよく見渡せる。

今はちょうどランチの時間帯ということもあり、家族連れが多くやってくる。年齢的には私の少し下の世代か。

もう立派に家庭を持っている。私には到底できない芸当だ。なかには二世代の家族もいるようだ。孫の顔を親に見せている人たちを見て尊敬してしまう。

子供に対して好きなものを食べなさいと促しつつ、騒げば注意をしている光景をよく見る。

私が子供のころに見た父親の姿がそこにはあった。

新卒で入社した同期達も結婚して家を買い、家庭を築き立派な大人として社会人としての責務を立派に果たしている。

本当にすごい。まぶしいくらいだ。

40を過ぎたこの歳になれば当然、私もそのようになると思っていた。

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それに比べて私はどうだ。現実は残酷だ。

今日も父は仕事に出かけた。私は玄関まで見送り、自分は仕事もせずファミレスで明日のことを心配している。

つまり、私はこの歳になってもなお父親を働かせ、あろうことか飯まで食わしてもらっているわけだ。

また、普段、母からパソコンの操作方法のことを質問され、それに対して偉そうに答えている。

私は非常に滑稽だ。

所詮は無職の40代中年に過ぎないのに、なぜこんな毎日を過ごしているのだ。

両親に対して一丁前に偉そうなことを言っている割には、外の世界では何も生み出していない。

内弁慶も甚だしい。

私の情けない現状を見て、母親が嘆くのもよく分かる。反論できない。私はいつまでたっても人並みに親孝行することができない。

ここ5年くらい、実家に帰ってくるときはいつも私が人生につまづている時だ。

話し合いをしてみたところで自分の考えと両親の考えは決して交わることはなく、平行線をたどるばかりだ。

ここ数年は純粋に親子団欒の時間を過ごした記憶がない。

時折、会話に笑顔はあるものの、どこかにひっかかるものがある。

頑張ろうとしてはいるものの、いつも壁にぶつかる。結婚はできたものの、それがいつまで続くか分からない。離婚の二文字はもうすぐそこまで迫ってきている。

そんなことを考えつつも、自営として自立の道を歩もうとしている。

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このファミレスで今後の計画を練り、ネットであれこれ調べるにつれてその困難さに冷や汗をかく。

「本当にできるのか」
「失敗したらどうするのか」
「しかし、もうこれしか道は残っていない」

葛藤してばかりだ。笑顔が極端に少なくなったのが自分でもわかる。

先日、ネット銀行からメールが来ていた。どうやら先月分の給料が振り込まれたようだ。これでいよいよ、来月からの収入が途絶えることになる。

焦燥感と不安。

この強力ツートップが容赦なく私を攻めたてる。この窮状をなんとか脱したい。

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