帰省最終日の出来事
今回帰省したのは、前回記事のとおり、離婚届の証人欄にサインをもらうためだった。
おそらく父は、遅かれ早かれ、こうなることは避けられないと思っていたのだろう。当初考えていたよりもあっさりと署名と押印をしてくれた。
説教や小言を覚悟していたのだが意外なことにそれもなかった。
もしかして、迷惑と心配をかけ続ける不肖の息子に大して諦めの気持ちを抱いていたのかもしれない。
その代わり、実家に戻って来いと言われてしまった。
ほっておくと何をしでかすか分からないので、自分の目の届く範囲に置いておきたいのだろう。私が40を過ぎたいい大人だとしても、親にとってはいつまでも子供なのだ。
しかしそれは無理だとハッキリと伝えた。
私が実家を出て約20年になる。実家の周囲にはもう知り合いもいない。
それに実家には私の部屋は既になくなっており、PCを使ったりやデスクワークしようにも、リビングのテーブルや椅子を移動させてスペースを確保しなければならない。
一言で言うと、ここは落ち着いて生活できる場所ではなくなってしまった。
もちろん経済的には実暮らしの方がいいのだろうが、最低限の生活費ならツテをたどってのアルバイトで何とか工面できそうだし、職探しならすぐに対応できる東京の方が何かと便利だ。
この話は一時間ほど続いたものの、なんとか押し切るかたちで強引に話を持って行ったが、果たして押し切ったという表現が合っているのだろうか。
両親をいつまでも不安にさせる自分に嫌悪感でいっぱいだった。
だから私は努めて明るい表情で、『仕事の目途が付いたらもっと広くてマシな部屋に移り住んで、東京に遊びに来てもらうよ』と話すと、母は『そうしなさい。待ってるから早く呼んでね』と笑っていた。
その晩、布団に入った私は少し涙が出てきた。
それはいつまでこんな状況が続くのだろうという絶望からではなく、親不孝で申し訳ないという謝罪の気持ちからだ。
もちろん両親には、心配をかけていることをこれまで何度も謝罪してきた。
だが暗闇のなか上を見上げて色々と考えていると、就活がうまくいかない悔しさ、歯がゆさ、自分の不甲斐なさが混じり合って、なぜだか涙が出てくる。
一人で過ごしているとこんなことはないのだが、実家にいると特にこうした感情が出てくる。
その翌日、私は東京に戻ることにした。
駅で母と別れる
父は仕事のため、私が帰京するよりも早く出かけて行った。
玄関で見送る際、『もう少し迷惑をかけるけど、必ず再起するから。本当にすいません。』と話すと、父はニッコリして「お前なら大丈夫だから大して心配してない。体調にはくれぐれも気を付けろよ」と励ましてくれた。
そして、「大したものを食べてないだろうから、たまにはこれでおいしいものでも食べろ」と財布から一万円札を出して私に渡してくれた。
こんなシーンを北の国からというドラマで見たことがあるが、まさかそれを地で行くようなことが自分に起ころうとは思いもしなかった。
ちなみにこの一万円は未だに使わず、机の中にしまっている。私のお守りだ。
その後私は、実家の最寄り駅まで母に車で送ってもらった。
新幹線の中で食べるおにぎりを母にあらかじめ頼んでおいたので、車の中で私の好物を具にした少し小さめのものを二つ手渡してくれ、しっかり頑張りなさいと激励の言葉を受けた。
これが帰省中の一連の様子だ。
これからの生活に向けて
今回の帰省では特別なことはなかったが(もちろん、離婚届へのサインは特別なことだが…)、これからに向けてのエネルギーをもらえた。
新幹線の中でおにぎりを頬張りながら、約二時間半、これからのことを考えていると、あっという間に東京に到着した。
離婚届も準備したし、それに伴う念書のようなものも作成したので、あとはこれを役所に提出するだけだ。
しかし、まだ自分がバツイチになる気がしない。もしかしたら、実際に届を提出すれば実感がわくのだろうか。
そんなことを考えていると妻からLINEが来た。
『届けにサインはもらえた?』
こういう時、彼女は決して『離婚届』という文言は使わない。なんでも、『離婚』という二文字が現実的に迫ってくるのが嫌らしい。
そもそも離婚は彼女からの提案なのだが、やはりどこかに引け目を感じているのだろう。でも、その気持ちはよく分かる。
『サインしてもらってきたよ』とだけ返信して私は降車駅で降りた。
さて、この二日後に私たち夫婦はこの書類を役所に提出することになる。彼女はどうかは分からないが、不思議なもので、私には特に悲壮感はない。
もちろん、清々しいという感じでもないし平常心というわけでもない。経験者にしか分からない不思議な気持ちだ。
確実なのは、私を励ましたり癒してくれたり帰りを待ってくれる妻は戸籍上からいなくなるということだ。
離婚なんてたかが紙一枚のことだが、あらめて考えるとズシンとくる。
心身ともに今までよりも困難な状況になる。
しかし、こうした原因を作ってしまったのは他ならぬ私だ。好き放題してきたツケは自分でとらなければいけない。
またゼロからのスタートだ。
◆真・転職回顧録-離婚編 7/9へ続く
次回:底辺無職40代男、離婚届を提出。夫婦関係に終止符が打たれる瞬間の気持ち。
実家に帰った方が良いと思いますけどね。
東京の相談できる知人とやらは東京にいた方がいいと言っているのですか?