離婚届を手にした底辺無職男
私が帰省していたのは約一週間ほど。
そして、証人欄に署名の入った離婚届を手にして実家から戻ってきた。
帰省中はそれほど大きな出来事はなかったが、両親と色々な話ができてよかった。しばらくできていなかった墓参りもすることができた。
そして、この数日後に離婚届を役所に提出することになっている。
東京に戻ってきた日の晩は移動の疲れもあってすぐに眠れたが、その日以降は一日一日と迫る離婚のこともあって、眠りが極端に浅い。
なぜか1時間おきくらいに目が覚めてしまう。
夜、深夜の徘徊
やがて数日が経過し、とうとうその日がやって来た。
昼寝などしていないのに、その前夜はいつにも増して寝付けなかった。理由はもちろん分かっている。
思えば約5年の結婚生活だった。
私の転職失敗がきっかけで、成功を信じて疑わなかった夫婦生活が少しずつ綻び始めた。
気が付いたときにはもう、私達は修復不可能な状態になっていた。離婚を回避すべく何度も何度も話し合いの場を持ったが、結局、それも平行線に終わった。
仲が悪いから離婚するわけじゃない。妻はただ、転職を繰り返す私に将来の希望を見いだせなかったのだ。それだけがどうしても許せなかったのだ。
そんなことを考えているうちに布団の中に入っているのがつらくなってきて、深夜にもかかわらず散歩したくなってきた。
外はまだ寒いのでダウンジャケットを羽織って外に出る。真夜中なので当然、道を歩いている人はほとんどいない。
そんな誰もいない道を数百メートルほど歩いていると前方にコンビニが見えてきた。暖を取るために店内をブラブラしていると、ふと『タバコを吸おう』と思い立った。
タバコを吸うのは本当に久しぶりだ。もう5年以上は吸っていないが、なぜだか昔のようにタバコを吸いたくなった。
そこで私は数年ぶりのタバコに、ライターと缶コーヒーも買った。
タバコを手に取ってまじまじと見ていると、パッケージデザインが昔とは随分と変わっていることに気付く。
『数年経つとこんなものまで変わるのか。私も変わらなければ…』
そう思いながら店を出ると、コンビニの入り口横に設置されたベンチに座った。
すぐそばには灰皿が置いてあったので、ゆっくりと座って喫煙できる。まさに、今の私のためにあるようだ。
数年ぶりにタバコに火をつけて吸ってみた。比較的軽めの銘柄のはずだが結構キツい。2、3口吸っただけで頭がクラクラしてきた。
暖かい缶コーヒーを飲んで目をつぶっていると頭のクラクラは少しづつおさまってきた。そして続けざまに一本、二本と吸っていると、だんだん昔の感覚が戻ってきた。
決してタバコがおいしいわけではないが、なんとなく気分が落ち着く感じがする。
きっと気分の問題だろうし、夜中に一人でタバコを吸っている自分に酔っているのだと思う。でも、今日くらいはカッコをつけてもいいだろう。
時計を見るともう朝の5時。結局、小一時間ほど散歩したので、そろそろ帰宅することにした。
離婚届を提出した無職40代男
離婚届は妻と一緒に提出する約束だった。
近くの駅で待ち合わせて二人で役所に向かう。道中、互いに何を話せばいいのかよく分からなかったため、車内は終始無言だった。
やがて役所に到着してエントランスに入ると、案内係の人が笑顔で用件を聞いてきた。
離婚届提出のために来たことを伝えると、まるで腫物にでも触るかのように窓口に案内してくれた。
案内された窓口には女性の先客がいて、彼女もどうやら離婚届を提出しに来たようだった。最近では離婚は珍しいものではないのかもしれない。
可哀想なのはお互い様だが、それにしても一人で提出するのもなにか寂しいものがある。
やがて私達の番になり二人で届を提出した。手続きはスムーズに終わり、その他諸々の書類提出も終わった。
こうして私の肩書には、『無職』『中年』のほかに『バツイチ』という不名誉な称号が新たに加わった。なかなかお目にかかることのない悲惨な状況だ。
離婚の手続きは想像以上にアッサリしていた。アッサリしすぎていて思いに浸る余韻もなかったが、これで本当に私たちは夫婦ではなくなる。
感極まることはなかったが、やはり寂しい。
妻が見せた涙
その帰り、せっかくだからということで遅めの昼食を二人でとることにした。
普段、二人で外食するときはサイゼリヤなど比較的リーズナブルな店に入るのだが、せめて今日くらいはと、少し豪勢なものを食べに行った。
豪勢と言っても大したものではない。イタリアンの食べ放題だ。
さっき離婚届を提出したばかりなので、もう私たち二人は戸籍上ただの知人同士。でもまだその実感がわかない。
こうして一緒に食事をしていても会話が途切れることはないし、雰囲気だって以前と何も変わらない。
しかし、昼食も終わりかけのころ、結婚前に二人で行った旅行の思い出話をしていると彼女の目には涙が浮かんでいた。
私は努めてにこやかに彼女の涙を拭いてあげた。
もう二人が以前のような状態に戻ることはないが、せめて私だけは明るく振舞わなければいけないと思った。
これが元夫としての私の最後の務めのような気がした。
気分が少し落ち着いたところで店を出て、私を送っていくために彼女の車で駅に向かった。
駅のロータリーに着くと、彼女は車の中でまた泣いた。
私はその涙を指で拭きながら『今まで本当にありがとう』と言うと、彼女は頷きながら精いっぱいの笑顔を見せてくれた。
そして1秒ほど無言の笑顔を互いに見せた。もうそれだけで十分だった。
この瞬間の光景はずっと心に焼き付いている。この時の彼女の笑顔をこれからも忘れることはないだろう。
これ以上一緒にいると私まで泣いてしまいそうだったが、今日だけはそれを絶対にしないでおこうと決めた。
今まで頼りない姿しか見せられなかったが、せめて最後くらいは、新たなスタートを力強く切るところを見せたかったからだ。
そして私たちは、握手をして別れた。
離婚したのに握手。矛盾しているように見えるが、こんな形があってもいい。
これが私たち夫婦の最後の日の出来事だった。
そしてあらためて思う。
今が人生の第何章かは分からないが、この日は確実に一つの章の終わりであり、新たな章の始まりだった。
◆真・転職回顧録-離婚編 9/9へ続く
次回:底辺無職40代男、離婚後の悲惨な出来事
既に離婚されていますが、主夫になるという選択肢はなかったのでしょうか。
奥様があなたを養う事はできなかったのでしょうか。
あなたのお兄様が医師であることから、
元奥様はあなたにもある程度の収入やステータスを期待していたと思います。
しかし、あなたはあなたです。
どういう経緯で結婚されたのかもわからないので何とも言えませんが、
まるで自分のことのように悲しいです。