衝撃的な光景
それは喫茶店でブログを書いている時のこと。
私から数席離れたところに、50代と70代の二人の女性が話し込んでいた。
それほど広い店内ではないので、その話し声が聞こえてくる。
どうやら、50代代の女性が70代の女性の相談に乗っているようだった。
「神様は見ている」、「魂」、「救い」、「研修」、「お布施」などのパワーワードが次々に耳に入ってくる。
そして、『ご主人と一緒に来てみたら?』『今度~の会合があるから顔を出して見たら?』など相談に乗るついでに新興宗教へ勧誘しているように思える。
妻はクリスチャンなので、私は比較的宗教に寛容だが、その場の空気にはちょっと異様なものを感じた。
その教えのすばらしさをかなりグイグイと説いており、私にもその強引さがあれば、また違った人生を送っているかもしれないと思ったほどだ。
人それぞれ
どうやら教えを信じることで人生が救われることを説いているようだ。
害を与えるような教えでなければ誰が何を信仰しようと別にどうでもいいのだが、かなり異質な雰囲気であることは間違いない。
それにしても、何かを信じるということは良くも悪くも強いことだと思う。
例えば、勧誘していたそのおばさんは、その宗教に微塵の疑いも持っておらず、教えに傾倒していることがうかがえた。
強引すぎるその姿勢にはちょっと引いてしまったが、強く信じられる何かを持っていることだけは羨ましいと思った。
最近は前向きになりつつある私だが、やはりまだ自分というものを信じられていない。
『この就職活動は必ずうまくいく』と思い込んでやっていけば、この先の苦境も難なく乗り切れるかもしれない。
もし運よくどこかの企業に入れたとしても、「本当に大丈夫なのだろうか?」などと不安になりながら仕事をするようになると思う。
根拠がなくてもいいので『俺なら絶対にうまくできる』と思える自信のようなものが何か一つでも欲しい。
そんなとき、何かを信仰すれば気が楽になりそうな気がする。さきほどのおばさんの気持ちも少しはわかる。
東京しごとセンターの人々
今、先ほどの喫茶店から場所を移し、東京しごとセンターの待合室にいる。
もうすぐ始まるアドバイザーとの面談時間までここで待機するためだ。
ここにいると少し気が落ち着く。周りの人は、私と同じく仕事を探している人ばかりだからだ。
あちらこちらで近況を話す声が聞こえる。きっと、ここで顔見知りになった人もいるのだろう。
この中に何かを強く信じて自分に自信を持っている人がどれほどいるのだろう?
やっぱり、そんな人はごくごく少数か…
そう思うと、信仰心を持つことは就職活動にとっても有利になるのかもしれない。
とはいっても、私はそんな気にはならないのだが…
実は、つい先ほど、応募した企業から書類選考落ちの連絡が来ていた。
そんなこともあり、ちょっと悲しい気分になってしまっていた。
しかし、これからそんなことは日常茶飯事の出来事になる。
いちいち落ち込んでいたらとてもやっていられない。
そして昨日、面白そうな求人を偶然にも見つけることができた。
今から応募書類を添削してもらい、その企業を含めて、またどんどん応募していこう。
◆真・転職回顧録-再起動編 10/29へ続く
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