記事のリライトに思うこと
いつもの記事は再就職先での出来事をネタにすることが多い。しかし、それは面白い内容ではなく、暗いものばかり。
そもそもこのブログ自体、不満や愚痴のはけ口として始めたものなので、それでもいいかと思いながら日々記事を更新している。
そんなわけで今日の記事もいつもどおり暗い内容となっている(今の会社を辞めたとかそういう話ではないです)。
そもそものきっかけはブログ記事をリライトしていた時のこと。
無職男は離婚などを経験しました
では、なぜリライトしていたかというと、一人でも多くの人に見てもらいたいからだ。そこで、こんな弱小ブログではあっても、過去記事の見直しなどのメンテナンスを不定期に行っている。
その一環で、このブログで私が一番最初に投稿した記事をリライトしていた。投稿日時は2017年6月12日 09:51。
いまから二年半も前のことだ。月日が経つのは本当に早く感じる。
思えば、このブログを書き始めたきっかけは、パワハラが原因で退職したことだと思う。
精神的に耐えられなくなった私は次の仕事を決めないまま、見切り発車的に退職した。
あの決断が良かったのか悪かったのか、それは今も分からないが、あのまま続けていけば間違いなく精神を病んでいたに違いない。
そう考えると、良し悪しと言うよりかは、辞めるという選択肢しかなかったというのが正直なところかもしれない。
私はそんなことを想いながら作業していた。
そしてあらためて記事を見直して感じたことは、自分自身、だいぶ病んでいたということだ。今でも十分病んでいるが、それよりももっとネガティブな感じがする。
ブログをはじめたきっかけ
あの時はまだ結婚しており、妻が帰宅する前にリビングのテーブルで記事を書いていたもので、とにかく思いつくままに書きなぐっており、直しどころも多い。
元々、自分のドロドロしたものをどこかにぶつけるために立ち上げた自己満足ブログなので、それはそれでいいかなと思ったが、ありがたいことに、ブログに訪問してくれる人も少しずつ増えてきている。
なので、体裁や読みやすさなどの改善もしていかなければ、と思っている。
そして次々と記事を見直していく。
こうした作業をしていると、なんだか過去の自分と対話しているような気分になって妙な感じがする。
そんななかで、一番印象的だったのはやはり、クビ、パワハラ、離婚関連の記事だ。どれも人生でかなり辛かった。
こう書くと、今の自分が幸せかのように思われるかもしれないが、決してそんなことはない。
こんなバツイチ中年男でも奇跡的に再就職できたが、今の私はあまり幸せではなく、むしろ、状況はあの時とそれほど変わっていない。
今現在、自分の生活にはほとんど満足していない。その原因は経済的なことというよりもむしろ、精神的なことによるものだ。
振り返ってみるとしょうもない人生
最近の記事のコメントで指摘されたとおり、私は今の仕事に対しても不満を持ち始めており、その愚痴をタラタラと垂れ流している。
『あ~、人生ってこんなものか』
新卒時代はもっと積極的でポジティブな人間だったはずだが、気が付けば、40代も半ばを過ぎて不満ばかりを抱えた悲しいおっさんになってしまった。
ただ、そんな私を励ましてくれたり共感してくれるとてもありがたい読者様もいる。
私が気を持ち直して仕事に行けるのは、間違いなくそんな人たちのおかげだ。そしてもちろん、批判的なコメントも大変勉強になっている。
つまりは、このブログを訪問してくれる全ての人が私にとってのメンターだと思っている。
このしょうもない人生をどう立て直していくか。そして、人生を心地よいものにしていくために、いかに行動していくか。
最近、また病み始めたからなのかもしれないが、自分に刺さる言葉に出会った。
それは『人生を取り戻す』
色々と調べていると、この言葉の真意はそこそこ深いところにあることが分かったが、今の私には衝撃的だった。
人生を取り戻す…。
奪われたつもりはないが、自分の人生を生きていない気もする。
遅ればせながら、これを自分なりに解釈していくことを今年のテーマにしていきたい。
ブログを掘り返していたら、思いがけず自分と見つめ合う一日となった。
私の転落人生はここから始まった。
やめるとき、大体そうせざるを得なかったからそうしてきた、というだけの話なんですよね…。
ホントに意味もなく選ぶ人はいません。
勝手に人格的資質に問題を決めつけて見下してくる「普通の人」はとっても多い。
心理学の公平世界仮説とか被害者攻撃という言葉が頭に過る。