最近、某スポーツ連盟会長の話題で持ち切りだ。
資金流用など数々の疑惑はあるが、パワハラに限った話で言うと、女性国会議員の件も少し前に大きな話題となった。
なぜこんなことを話題にしたかというと、私もパワハラを受けたことがあるからだ。
せっかく再就職したその職場を、わずか数か月後に退職せざるを得なかったのは、このパワハラが原因だった。
何が問題か
この某スポーツ連盟の関係者や被害を受けた国会議員秘書の心労は相当なものだったろう。
ことあるごとに退職をちらつかせられたり、暴言を吐かれたり、負った心の傷の深さは被害を受けた本人にしか分からない。
おそらく、毎日、過度の緊張を強いられ、胃に穴が開く思いだっただろう。
しかし、加害者にはパワハラの自覚すらなく、また、相手を服従させることで一種の陶酔感を感じていたのかもしれない。
所詮、加害者の認識はこの程度なのだろう。
私の場合、悩んだ時点で実家の両親や他の人にも相談してみた。
しかし、どんなに説明してみても理解は得られなかった。
返ってきた答えは決まってこれだ。
「そういう人はどんな会社にもいる。」
「みんな辛い思いをしながら働いている。」
また、話をじっくり聞いてくれたとしてもこんな答えしか返ってこない。
「我慢して働け」
しかし、この考え方は最悪の結論だと思う。何の解決にもならない。
大企業であれば、パワハラに関する相談窓口も用意されているだろうが、中小企業の場合はそんなものはないことがほとんどだ。
そして小さな組織の場合、加害者はほぼ、要職に就いている人の場合が多い。
ましてや、それが社長であればどうしようもない。
日本の場合、中小企業が全体の99%以上を占めている。
そのような組織には、パワハラ被害を救済するための体制整備に手を付ける余裕はないと考えてよいのではないだろうか。
また、身近な人にパワハラの被害についてどれだけ相談したとしても、理解を得られることは難しいように思う。
今回の一連の騒動のように、レコーダーで録音したものを聞かせない限り、第三者がその状況を正確に把握することは難しい。
結局、パワハラを相談したとしても、それをまともに聞き入れられないことが、被害者にとって一番不幸なことだと私は考える。
実際のところ、私はどうしてほしかったか?
普段は「パワハラには絶対反対!」と言うクセに、いざ身近な人から相談されると「我慢しろ」だの「どこにでもそんな人はいる」だのという。
挙句の果てに、相談した人を精神的にもろい人だと決めつける。
そんなことが続けば、被害者はこう考えるようになる。
そして、こんな風に葛藤するようになる。
「この仕事を辞めたい。でも、これくらいで辞めたら逃げになってしまう」
また、何らかの機関に被害を訴え出るほど気力のあるような人は少なく、多くの場合は自分の中にしまい込んでしまう。
ひたすら黙って耐え続ければ当然、精神のバランスを崩してしまう。
私自身もそんな感じだったので、被害者の気持ちが痛いほどわかる。
幸いにも私は強引に会社を退職したが、あのとき、ひたすらパワハラに耐え続けていたら、今頃どうなっていたかと想像すると恐ろしい。
もし精神を患ってしまったら、誰が私の代わりに家庭を守ってくれのだろう?
精神的にボロボロになった私の面倒を誰が見てくれるのだろう?
どうやって人生を取り戻せばいいのだろう?
私はあの時、こう言ってほしかった。
「それはしんどかったね。少し休めばいいよ。」
「そんな会社もう辞めちゃえばいいよ。」
こんな言葉をかけてもらえていたら、どれだけ救われたことだろう。
パワハラを受けたときはどうすればいいのか?
もちろん叱責=パワハラだというつもりは全くない。
会社で働いている以上は上司から怒られることもあるし、その叱責が職務上、適切なものかそうでないか、それくらいの区別はつく。
それでもなお、明らかにパワハラと考えざるを得ない場合、無責任のように思われるが、自分の身は自分で守るしかないのかもしれない。
だが、色んな事情で仕事辞められない人もいるだろう。
でも、バイトをすればある程度の生活はできるのだから、少しの間、休んでみるのもいいのではないかと私は思う。
継続的にパワハラを受けている人、我慢しないでください!
退職することを逃げや負けだと思っている人、考え方を変えましょう!
それは、自分を守るための防衛手段です。何も恥ずかしいことではありません。
パワハラのある会社にしがみついてまで鬱病になったとして、その先に何があるのですか?
そして、相談を受けた人、じっくりと本人の話を聞いてあげてください。
無理に励まそうとしないでください。
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