底辺無職40代男と父の確執【真・転職回顧録-帰省編 3/16】

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帰省二日目

遂にというかやはりというか、また両親と衝突してしまった。

今回は冷静に話し合おうと心に誓っていたが、無理だった。

ことの発端はやはり、私の今後の身のふり方について話していた時のこと。

私が自営を考えているのはインターネットをフルに活用した仕事になる。

しかし、父はIT業界というものに偏見を持っている。いくら説明しても理解しようとしない。

また、お客さんとのメールでのやりとりにもすら抵抗があるようで、「文字のやり取りは冷たい。人間と人間の生のやりとりが云々~」と言っている。

そんなにIT技術を使うのが嫌なら連絡は全て相手先に出向いて直接話してこい!電話もFAXも使うな!結局はメールを使えないことの言い訳なのだ。

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デジタル音痴な父

Image by aymane jdidi on Pixabay

もはや老害と言ってもいいのではないか。

そんな父は、私が大手通信メーカーに勤務していたときは何も言わなかった。

結局、無知による偏見と、大企業なら安泰という典型的な昔の日本人なのだ。

IT業界の仕事を何だと思っているのだ。

きっと、ネットを適当に閲覧し、ボタン一つで楽にお金を稼いでいる怪しい集団と勘違いしているのだ。

また、労働とは額に汗して働くものだという考え方しかできない。
もちろんその考えは否定しないし、その通りだ。

働くことはもちろん大変なのだが、幾多の困難と挫折を乗り越えるというお涙頂戴的な物語が大好きな人だ。

Image by rawpixel on Pixabay

仕事を楽しむなどという発想は全く頭にない。

たくさんの苦労と痛い思いを積極的に受け入れたいというドM体質なのかもしれない。

ちなみに父親は自営業を営んでいる。従業員は2名いるが、入れ替わりが激しい。入れ替わりが激しいことについて、変な人しか面接に来ないからということを常々愚痴っている。

昔はその話を額面とおりに受け取っていたが、ここ数年、社員が定着しないのは父に原因があると思っている。

きっと自分の考えを曲げず、部下の意見は全く受け付けなかったのだろう。
ワンマンなのだ。

私は両親とは考えが全く合わない。

父親は自分の狭い世界や価値観が絶対だと思い込んでいるので、それに合わないものや未知なものに対しては排他的な考えだ。

普段から「新しいものは積極的に受け入れる」とは言っている割には、いまだにPCの電源すら入れることができず、教えてもらおうとすらしない。

メールしたり契約書をWordで作成したりするときは、全て母親頼みだ。

それを指摘するとああだこうだと言い訳が始まる。血のつながった父親ではあるが、理解できない。

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私がやろうとしている仕事

IT関連の仕事を個人事業主としてやっていこうとしているのだが、どうやら全く理解できていない。

丁寧に説明をしてみても、結局は次のような話で終わってしまう。

「お前は社会人経験が浅いし、人と折衝した経験もないのにできるわけがない」
「新聞配達や牛乳配達のアルバイトような汗水垂らして働いた経験もないのに」

私は浪人したうえに大学院に進学した。
それに加えて転職を繰り返し、半年ほどの無職期間が数回ある。

そのため、大学に現役合格して学部卒で入社してから働いている人に比べれば、社会人期間が短いのはそのとおりだ。

しかし、そんな私でも通算で10年以上は働いてきた。
社会人経験が浅いといっても、そこまでではない。

また、どの業界でもメールや電話でお客さんとの打ち合わせを調整し、そこから何回も話し合いの場を持ちながら微調整を重ねる。

そうして、ようやくゴールにたどり着く。主にIT業界で働いてきた私も同様に、そんなことを幾度もやってきた。

父にはそれが理解できないのだ。埋まらない認識の溝。

私がやろうとしている仕事を一人でやっていくには一般的な社会経験に乏しいというのが父親の主張だ。

しかし、私だって今まで何もしてこなかったわけじゃない。
そこまで私が頼りないのか。

この将来を危惧する父親の気持ちもよく分かるが、それでもいいじゃないか。

今回の帰省にあたり、事業計画書を作っていれば、両親もまだ安心するのかもしれないし、それをしていない私にも非はある。

だが、失敗しながらやっていけばいいじゃないか。

困ったらアルバイトで赤字分を補填するくらいの覚悟はあるし、何より私はこれが楽しいと思っているのだ。

父親と口論は大体、以上のような内容だ。

私は父に激しく抵抗した。すると、その様子を傍で聞いていた母親が泣いた。もう喧嘩は聞きたくないという。

私は実家にいるのがホトホト嫌になった。

ここはあまりにも居心地が悪いし、両親の顔もあまり見たくない。これまで色々な支援をしてもらい、それには大変感謝もしており、口でもハッキリと伝えている。

まとまったお金が入った時は、せめてもの罪滅ぼしに両親が好物だというお菓子を送ったりもしている。

だが、考え方が合わないものは合わない。一度、実家と距離を置くのも一つの手かもしれない。

そして、私はとうとう、母を泣かせてしまうことになる…

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 ◆真・転職回顧録-帰省編 4/16へ続く 
次回:底辺40代無職男、母を泣かせる

底辺40代無職男、母を泣かせる【真・転職回顧録-帰省編 4/16】
母親は泣いていた。むせび泣きではなく、ヒステリーを起こして子供のように喚いて泣いた。
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