写真のなかの私
押し入れを整理していたら、学生時代の写真が出てきた。
友人と旅行にでかけた先で撮った写真だ。
そこには、塀に腰かけて笑っている自分が映っていた。
このときはまさか、40代の自分が無職になっているとはこれっぽっちも思っていなかった。
そして整理が一段落し、そろそろ就寝しようと歯を磨いていたとき、ふと鏡に映った自分を見た。
当然ではあるが、そこには40歳を超えた自分の顔が映っている。
さっきの写真に写ている自分と比べると、随分と老けた。
今の自分
どれくらいの老け具合かというと、頭頂部も徐々に薄くなってきているし、側頭部には白髪で真っ白になるレベルにまでおじさんになってしまった。
もう40代だ。そんな年齢なのかもしれない。
父親が40代の頃、私はまだ幼稚園くらいだったと思う。
私はその年齢の父を見ながら、40歳を超えた人はもうおじさんだと思っていたが、気づけば自分がその年齢であることに愕然とする。
40代ともなれば、精神的に成熟していて、毎朝仕事に出かけ、会社でバリバリと仕事をこなし、結婚して子供を育て、家を建てて、…
それが当たり前だと思っていた。
しかし、現実は全くの逆だった。
無職になりアルバイトにすらありつけず、離婚の危機に陥っているとは考えもしなかった。
実現できたのはせいぜい結婚くらいだが、その結婚すらも離婚の危機が迫っている。
こうなると、自分が結婚できたことがまるで奇跡のようにすら感じる。
そんなことを考えながら、今日も鏡を見ている。
その翌日
その翌日、鏡に映っている自分のことが猛烈にダメな人間に思えてきた。
いや、事実、ダメ人間なのだろう。
働きもせず就職活動もせず、家や図書館でひたすらブログを書いていることに強烈な違和感を感じる。
この違和感の正体は、自分に収入がないことにある。
なぜ、こうなってしまったかというと、会社で働くことに疲れてしまったからだ。
自分は組織のなかで働くことに向いていないのではないかと確信している。
きっと世の中には同じような人がたくさんいるのだと思う。
ふと手にしたスマホをいじると昔の画像が出てきた。
結婚式の写真や新婚旅行の写真。
妻と一緒に出掛けた時の写真。
二人でおどけている写真。
この時は毎日が楽しかった。
こんなことになってしまって妻には本当に申し訳ないと思っている。
もう一度、二人が心から楽しめる生活を取り戻したい。
幸いにも私は鬱病ではない。
すぐにでも社会復帰できる状態だ。
だから妻にはもう少し待っていてほしいと伝えたが、その願いも届きそうにはない。
最近はこんなネガティブな思いにとらわれがちだ。
きっと天気がいい日が続き、外があまりにも爽やかなので、それとは対照的な今の自分が余計に目立ってしまうからなのかもしれない。
皮肉なお誘い
こんな時に限って、飲み会に誘われることが多い。
単純にうれしいが、困ったことがある。
それはお金だ。
収入が途絶えてからは、支出には敏感になっている。
実は、仕事を辞めて今現在は無職であることを、実家や義理の両親以外には隠している。
再就職先が見つかった時ははみんな喜んでくれたので、「そこをすぐに辞めちゃいました」とはとても言えない…
非常に心苦しい。
妻は「気分転換に行って来れば?」と言ってくれるのだが、後ろめたさでとても行く気にはなれない。
しかし、こんな私でも一つだけ分かっていることがある。
それは、何があっても友人関係を台無しにしてはいけないということだ。
そのためにも、今の状況を打ち明ける日がいつかは来るのだろう。
無職になると考えることが色々と多くなる。
なるべくポジティブに考えねば。
こんなとき、スティーブ・ジョブズの言葉に勇気づけられる。
Stay hungry, stay foolish.(ハングリーであれ。バカであれ。)
このスピーチはあまりにも有名だが、日本語での解釈は人によって微妙に異なる。
スピーチを最初から最後まで聞いたうえで、私は、「野心を持て。自分の信念をしっかり持て。」と解釈している。
気が滅入りそうなとき、この言葉はいつも気持ちを軽くしてくれる。
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