Cafe de 無職

~40代、50代の無職が集う場所~

転職回顧録-54

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塾講師のアルバイトを始めてから2週間が経とうとしていた。
この頃になると体も慣れてきたようで、当初のように帰宅してクタクタになることもなくなった。ただひとつ残念なことがあった。
それは、塾講師のバイトは思ったほど稼げないということだ。
なぜかというと、塾の授業は学校が終わった後に行われるため、私が働く時間が夕方から晩に限定されるからだ。
そのため、週五日働いたとしても、そこまで大きな収入にはならない。

そこで、朝から夕方の間は別のアルバイトをしようと考えた。
職場間の移動時間を考慮すると、新たなアルバイトの勤務地はある程度限定されてしまうが、求人誌やインターネットで仕事を検索してみると、いくつかの候補が見つかった。

その中の一つに工場での倉庫作業があった。
ここでなら電車で乗り換えなしで行けるし、その後の移動も少なくて済む。

実家に電話してこのことを話すと母親は嘆いていた。
大学院まで出た息子が、40を過ぎた歳になっても工場の倉庫でアルバイトをしている現実を受け止めにくいらしい。そう思う気持ちも分からなくはない。

決して工場で働く労働者を下に見ているわけではないが、たしかに、工場でアルバイトすることに対して私自身、少なからず抵抗があった。

しかし、食べていくためにはそれも仕方のないことだ。

いろいろな葛藤がありながらも工場でのアルバイトに応募することにした。
ただ昔とは違い、ここで働くためには派遣会社に登録しなければならない。
つまり、工場が私を直接雇うわけではなく、派遣会社を通して働くことになるのだ。

昨今、雇止めなどでマイナスイメージがつきまとう派遣の仕事だ。
本当にこれで大丈夫なのだろうかという不安を抱えつつも、派遣元の会社に電話して、登録会に参加することにした。
そこは比較的小規模な会社で、登録会といっても小さな部屋で私一人が簡単な必要事項を記入しておしまいだ。

早速、朝から昼過ぎまでそこの工場で働くことになった。
これで私も晴れてダブルワーカーだ。

こういったかたちで働くのは初めてなので少し緊張した。
もしかして、派遣のアルバイトだからと言って、まるで機械のように番号で呼ばれ、人扱いされないのではないか。そんな不安が頭をよぎった。

電車に揺られて工場に到着し、既に働いている人と正門で待ち合わせすることになった。
やがてそれらしき人が現れたので声を掛けてみた。その人だった。
そして一緒に職場に入ると、派遣元の社員がそこで待っていた。
仕事内容の簡単な説明を受け、作業開始。
思っていたよりもずっと、みんな優しい。私も楽しく仕事をすることができた。

聞けば、この職場には複数の派遣会社が入っていて、そういった人たちによって、この工場の仕事が成り立っているそうだ。

さて、ここでは複数の班ごとに作業が割り振られており、各班ごとにリーダがいる。私の班のリーダーは私より年上の女性で、ここでの仕事が長いそうだ。
この人とは同じ派遣会社という縁もあり、随分とかわいがってくれた。
とてもありがたい話だ。

主に私の教育係をしてくれる人から作業手順を教わりながら、少しづつ仕事をこなしていく。こうした仕事は単純作業と思われがちだが、決してそうではない。それなりに考えてやらなければ、後工程がうまくいかない。

劣悪な環境で過酷な単純作業が待っていると思っていた私のイメージはどうやら間違っていたようだ。

手先に集中して仕事をしているとあっという間に時間が過ぎていく。
さっき仕事を始めたと思っていたらもう昼休憩だ。
そしてこのあと2時間ほど働き、ここでの仕事は終了だ。労働時間としてはせいぜい6~7時間といったところだ。

そして工場を出た後は移動して、塾講師に変身だ。
我ながらよくやっていると思う。

しかし、今の仕事内容に不満はないものの、いつまでもアルバイト掛け持ちの生活を続けるわけにはいかない。この生活がいつまで続くのだろうか。
そう思いながら、最寄り駅から塾に向かって歩き出した。

いつもより風が冷たく感じた(回顧録-55へ続く)

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