無職中年男は塾と工場でダブルワークすることにした【転職回顧録-53】

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塾講師のアルバイトを始めてから2週間が経った

この頃になると体も慣れてきて、帰宅してクタクタになることもなくなった。
だが、ひとつ残念なことがあった。

それは、塾講師のバイトでは思ったほど稼げないということだ。

なぜかというと、塾の授業は学校が終わった夕方から始まるため、一日の授業のコマ数は多くて3コマくらいに限られる。

そのため、週五日働いたとしても、ひと月の収入は大した金額にならない。

ざっと計算すると、3コマ/日×20日×1500円/コマ=90,000円くらいのものだ。
これに教室運営のための事務作業を不定期で手伝ったとしても、ひと月に100,000円を少し超えるかどうか。

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これでは最低限の生活すらできず、毎月赤字を垂れ流すことになる。

そこで、朝から夕方までの間はもうひとつアルバイトを掛け持ちすることにした。

塾への移動時間を考慮すると、アルバイト先はある程度限定されてしまうが、求人誌やインターネットで仕事を検索してみると、ちょうどよいものがいくつか見つかった。

それは、家の近所にある工場での倉庫作業だ。
ここでなら、その後の塾への移動も少なくて済む。

実家に電話してこのことを話すと母親は嘆いていた。

国立の大学院まで出た息子が、40を過ぎても工場の倉庫と塾講師のアルバイトを掛け持ちしているのだ。
この悲惨な現実を受け止めにくいらしい。

その気持ちもよく分かる。

職業に貴賎なしだが、いい歳した男がアルバイトで生計を立てていることがとても情けない。
自分のあまりの落ちぶれように驚いている。

しかし、食べていくためにはそれも仕方のないことだ。

いろいろな葛藤がありながらも工場でのアルバイトに応募することにした。

ただ昔とは違い、ここで働くためには派遣会社に登録しなければならない。
つまり、工場が私を直接雇うわけではなく、派遣会社を通して働くことになるのだ。

昨今、雇止めなどでマイナスイメージがつきまとう派遣の仕事だ。
本当にこれで大丈夫なのだろうかという不安を抱えつつも、派遣元の会社に電話して、登録会に参加することにした。

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そこは比較的小規模な会社で、登録会といっても小さな部屋で私一人がいくつかの必要事項を記入しておしまいだ。

さっそく、9時から15時までそこの工場で働くことになった。

無職中年男は晴れてダブルワーカーになった

最初は少し緊張した。
派遣のアルバイトは番号で呼ばれ、人扱いされないのではないか。そんな不安が頭をよぎった。

派遣当日、引率係の人と正門で待ち合わせすることになった。

やがてそれらしき人が現れたので声を掛けてみた。
その人だった。

一緒に職場に入ると、派遣会社の社員がそこで待っており、仕事内容の簡単な説明を受け、作業開始。
思っていたよりもずっとみんな優しい。

私も楽しく仕事をすることができた。
当初のイメージとはだいぶ違っていた。

聞けば、この職場には複数の派遣会社が入っていて、そういった人たちによって、この工場の仕事が成り立っているそうだ。

さて、この工場では班ごとに作業が割り振られており、各班ごとにリーダがいる。
私の班のリーダーは10歳ほど年上の女性で、ここでの仕事が長いそうだ。

この人とは同じ派遣会社という縁もあり、随分とかわいがってくれた。
とてもありがたい話だ。

主に私の教育係をしてくれる人から作業手順を教わりながら、少しづつ仕事をこなしていく。
こうした仕事は単純作業と思われがちだが、決してそうではない。

それなりに考えてやらなければ、後工程がうまくいかない。

劣悪で過酷な環境での作業を想像していた私のイメージはどうやら間違っていたようだ。

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手先に集中して仕事をしているとあっという間に時間が過ぎていく。
さっき仕事を始めたと思っていたらもう昼休憩だ。

そしてこのあと2時間ほど働き、ここでの仕事は終了だ。
正味の労働時間としては約5時間といったところだ。

そして工場を出た後は塾講師に変身。
我ながらよくやっていたと思う。

しかし、いつまでもアルバイトを掛け持ちする生活を続けるわけにはいかない。

この生活がいつまで続くのだろうか。
先の見えない再就職活動に不安を抱えながら、最寄り駅から塾に向かって歩き出した。

いつもより風が冷たく感じた(回顧録-54へ続く)

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