Cafe de 無職

~40代、50代の無職が集う場所~

転職回顧録-66

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父の上京(転職回顧録-65を参照)により、転職先を早く決めなければという思いを新たにしたものの、だからといってすぐに決まるわけではない。
できることと言えば、応募書類のブラッシュアップと応募件数を増やすことだ。
せっせと応募しながら、企業からの返事を待つ日々が続いた。

そうこうしているうちに、工場での就業期間が終わりを迎えた。
ここは非常に働きやすかったが、当初の契約期間が終わってしまってはどうしようもない。
次の仕事も未定だということで、やむなく私のダブルワークは終わりを迎えることとなった。
最終日の帰りは、定年後にこの工場で働いている年配の人(転職回顧録-56を参照)と少し呑みに行くことになった。そして、その人の今までのことやアドバイスなどいろんな話をしてもらった。
人には色々な物語があるものだ。こういう話は聞いてみなければわからない。
そして、早く仕事を見つけるようクギを刺されながら、ささやかな呑み会が終わった。

工場での仕事が終わったことでダブルワークができなくなってしまったため、収入面での不安はあった。しかし、幸いにも受験シーズン真っただ中で、冬期講習の時期だ。
そこで、塾には、入れられるだけの授業を担当したいと伝えてあった。
この希望は受け入れられ、通常の倍近い数の授業を担当することになった。また、ありがたいことに、授業以外にも事務作業を手伝うことができ、なんとかそれまでと変わらないの収入を確保できる目途がついた。
文字通り朝から晩まで働きづめだが、ここは耐えるしかない。

それにしても、受験生の授業を受け持つことは非常に責任重大だ。
理解させることができるかできないかでその子の将来が変わってしまいかねない。私は細心の注意を払って授業を行った。

なかには、この理解度で本当に志望校に合格できるか不安な生徒もたくさんいた。
そういった生徒にはとことん付き合って、なんとか初歩的な理解だけでもできるよう努めた。

生徒たちの話を色々と聞いていると、推薦で進学先が決まった子や、直前で志望校をランクダウンする子など様々だ。受験指導の立場としては、軽々にアドバイスできない。
私が受験生だった頃は学校の数も少なく選択肢が限られていたためあまり迷うことはなかったが都会の子は事情が異なる。
学校数が多い分だけ偏差値が細分化されて設定されており、判断が困難だ。

ある一人の生徒がいた。
その子はトップレベルの学校を志望していたが、客観的に見てそこまでのレベルにはないように思えた。
しかし、毎日、塾に自習をしに来ており、とにかく頑張っていた。聞けば、模試の判定も徐々に上がってきているという。
こういう子はたとえ志望校に落ちてしまったとしても、この経験が後に活きるだろう。

果たして、こういった子供たちの結末がどうなるか、非常に興味があった。
正直に言うと、このときの私は、自分の転職活動を度外視するほど授業に力を入れていた。

しかし、合格のため必死になって勉強に取り組む生徒を見ていると、私自身ももっと頑張らなければならないと気持を引き締めることができた。「この子たちと一緒に、笑って春を迎えたい」そう思うようになっていた。(回顧録-67へ続く)

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