ここまでのおさらいと今回のお話
40代無職中年男のこれから【転職回顧録-管理職編16/16 ※最終回】では、私が経験職のアルバイトに採用されたところで終わっていました。
はたしてその後はどうなったのでしょうか?
そこで、この【転職回顧録-外伝】シリーズ(全7回)で、アルバイトやその後の生活のことをお伝えしようと思います。
まず最初にざっくりとした感想ですが、アルバイトとはいえ、そこでもやはり色々なことがありました。
どうやら私は、勤務先での様々なトラブルに縁があるようです…
本編で書ききれなかった出来事を外伝としてお伝えしていきますので、どうぞお付き合いください。
アルバイト先は小さな小さな外資系企業
私のアルバイト先は外資系企業。
外資といえば聞こえはいいが、その実態は零細企業と変わらない。
経験職ということもあり、大体の仕事内容は把握できているつもりだったが、それでもやはり職場環境などに不安が残る。
特に初出社前日は不安だった。
これまで多くの転職を経験してきたが、こういうことは何回経験しても慣れるものではない。
そして、初出社当日。
念のため、1時間ほど早く駅に到着した私は、近くの喫茶店で時間をつぶしてから10分前に会社に向かった。
そんな私を出迎えてくれたのは温厚そうな雰囲気の人だった。おかげで不安が少し和らいだ。
入館証を受けとってからオフィスに入り、社内を簡単に案内してもらった。
その後、準備してくれたデスクに座っていると、私の指導係の人がやってきた。
30歳を少し過ぎたくらいの若い男性で、私とは一回りくらい離れている。随分と年下の上司だが、そんなことは昨今の転職事情ではよくあることだ。
その後はPCのセットアップを行い、業務の概要について一通りの説明を受けた後、早速、実際の作業を行うことになった。
とはいっても、ついさっき来たばかりなので、私にできる仕事があるわけでもない。少しづつ手順を教えてもらいながら作業を進めた。
その後、指導係の人は別の仕事があるとのことで、私より一ヶ月ほど先にアルバイトとして入社した先輩から色々な説明を受けることになった。
先輩は全部で三人。
そのうち二人は私よりも2~3歳ほど年上の男性で、もう一人は私より少し若い女性だ。
初日は無事終了。
初日の感想を一言でいうならば、この会社はブラック企業ではなさそうだった。むしろ、働きやすい職場だついえるだろう。
ただ、規模はごくごく小さく、外資のはずなのになぜか日本の典型的な中小企業といった雰囲気がにじみ出ている。
しかし、パワハラやサービス残業にはかなり否定的なスタンスで、そういったものとはまったく無縁のようだ。
また、会社としても、経験のある私に期待してくれているらしく、40代無職の転職回数が多い私を温かく受け入れてくれた。
無職中年で転職回数の多い私を受け入れてくれることは、日本の企業にはもう望めないのかもしれない。
そして、気になるのは給料のことだ。
決して高いとはいえない時給で働いているので(かといって安すぎるわけではない)、贅沢な暮らしはできない。
これから先の生活に不安は残してはいるが、安いながらもお金を稼ぐことはできているので精神衛生的にはよい。
そして、2日目、3日目、一ヶ月と経過し、ついに待望の給料日を迎えた。
40代無職中年男の悲しい給与事情
目を凝らして手渡された給料明細を見てみると、手取りの金額は15万円あるかないか。
もちろん働いた分はキッチリと支払われていたが、こうして給与明細に印字された金額を眺めると悲しくなった。
一番稼いでいたとき時の四分の一くらいだ。
悲しくなって給与明細を何度も見返してしますが、そこに印字された金額は増えてくれない。
比較的単純作業ということもあり、大した金額でないことは分かっていた。元無職の40歳は所詮こんなもんか…。
とはいえ、いい歳した大人が真面目に働いた対価としてはふがいない金額だと思う。
こんな時に、自分の転落ぶりをイヤというほど思い知らされるが、このまま自分の甲斐性のなさを嘆いていても仕方ない。
40代(元)無職中年は頑張って仕事に打ち込むのみだ。
その日の帰りがけ、初給料日ということで普段から苦労や心配をかけている妻にピアスを買って帰った。
我が家では大体、記念日にピアスを買うのが恒例になっている。もちろん高いものは買えない。1000円かそこらの安物だ。
でも、そんなものでも喜んでくれたのは嬉しかった。ここが妻のいいところだと思う。
そして日は経ち、仕事にもだいぶ慣れてきた私は、基本的なことならば一人ででも作業できるようになってきた。
このままいけばもしかして契約社員、そして、正社員登用の道も開けるかもしれないという希望を持つようになっていた。
やはり経験職というものは強い。
あらためてキャリアの積み上げが重要だということを実感した。
久しぶりに私の人生に光が差し込めたと感じた。
自分の人生がまた輝きを取り戻しはじめたように見えた。そんな私はある日、大役を任せられることになる。