40代無職、絶望的な転落人生。私が会社を辞めた理由【転職回顧録-倒産編1/8】

Cafe de 無職へようこそ!

この転職回顧録は、40代無職・バツイチである私のお話です。

新卒で入社した企業を辞めた後、自分に合う会社に転職したものの、そこは数年後に倒産。

スポンサーリンク

苦戦しながらやっと再就職を果たすも、クビ、パワハラで退職を余儀なくされました。

挙句の果てには、私に愛想が尽きた妻と離婚してしまいました。

このブログは、転職に失敗し、絶望的な転落人生を送る過去と今現在を綴ったものです。

それでは、絶望的な転職失敗談をご覧ください!

40代無職男になる前の私

そもそも私は、学生時代に分子生物学を専攻していた。

わかりやすくいうと、組み換え遺伝子などを扱うバイオテクノロジーを専攻していた。

しかし当時はまだ、分子生物学を活かすことのできる就職先は狭き門で、そこに入社できる学生といえば、ごく一部の有名大学出身者に限られる。

地方大学出身の私には入社試験のエントリーすら難しく、かろうじて面接を受けさせてくれるのはベンチャー企業や地方にある小さな会社くらいのもの。

大企業で働きたいと思っていた私には、そうした企業には魅力を感じなかった。

今思えば、これは短絡的な考えで、中堅どころの食品関連企業の研究職を狙っておけばよかった。

ちょうどその頃はインターネット黎明期で、Windows95が大きな話題になっていた。もうずいぶん昔のことのように思える。

早々にバイオ産業に見切りをつけていた私は、これからソフトウェアの時代がやってくると確信していた。

また、田舎で生まれ育った私が都会に出る絶好のチャンスと捉えていた。

40代無職中年男が新卒として就職したのは

そんな私が就職先として目を付けたのは、情報通信業界だった。

そこで、東京にある某大手通信メーカーにエントリーし、幸いにもSEとして内定をもらうことができた。

配属先はインフラ制御システムを構築する部署。

仕事にもやりがいを感じていたし、息子が大手企業に就職したことに両親は安心していたと思う。

ただ、この頃は残業礼賛の風潮だった。まさに「24時間戦えますか?」を地で行く業界だった。

1日のスケジュールはというと、始業直後から数件の打ち合わせが始まり、終わるのは夕方。

そうなると、肝心の作業は17時くらいからスタートとなる。

そんなことをしていれば当然、帰宅は日付が変わる頃になる。終電間際にあわてて荷物を片付け、駅までダッシュする毎日だった。

サービス残業こそなかったが、月の残業時間が150~200時間に及ぶことも珍しくなく、帰宅時間が深夜の2時を回ることもしょっちゅうだった。

そんな労働環境のため鬱になってしまう同僚も多く、ある日突然、出社しなくなるといったケースもたくさん見た。

さらに最悪なことに、私は社内でも有名な泥沼プロジェクトに放り込まれることになった。

右も左もよく分からない当時の私はこの状況をよく理解していなかったが、実際に仕事をしてみると、その大変さがよく分かった。

このプロジェクトをマネジメントする管理職は短期間で何人も代わっており、その仕事の過酷さを物語っていた。

また私自身も軽度の円形脱毛症になっていた(美容師に指摘されてはじめて知った。自覚症状がなかったようだ)。それだけでなく、白髪の量が一気に増えた。

そして絶望的な転落人生へ

ちょうどこの頃、ニュースでは連日のように、新たな大学院の立ち上げ構想が大きく取り上げられていた。

いつ終わるとも知れない泥沼プロジェクトで働くうちに、精神的・肉体的にボロボロになった私には、その大学院で勉強しなおすことがとても魅力的に思えていた。

また、長時間の残業が当たり前のSE稼業を続けていれば、いつか体と精神のバランスを崩してしまうのではないかという不安が常にあったため、この状況から逃げ出したいという思いもあったのかもしれない。

そうしているうち、大学院でもう一度勉強し直したいという気持ちが抑えきれなくなっていた。

色々と考えた結果、仕事を辞めて大学院で勉強し直したいという思いを両親に告白した。

当然、簡単には理解を得られない。

何度も話し合いを重ね、条件付きで大学院への挑戦を認めてもらうことができた。

その条件とは、1年間で上位10%の成績をとること。

それができなければ、再びサラリーマンに戻ってほしいと言われた。

確かにその考えには一理あるし、息子の将来を心配する親としてはもっともな考えだ。

私はその条件を飲み、仕事を辞めて大学院受験に挑戦することにした。そこから私は一生懸命に勉強した。

安アパートに引っ越し、テレビも処分して、入試に合格することだけを目標とする日々を送った。

そして勉強の甲斐もあり、なんとか希望していた大学院に合格することができた。

大学院で勉強する分野は今まで学んだことのないものだったので、同級生に追いつくためにひたすら勉強した。一世一代の大勝負だ。

ほぼ毎日、学校の図書館にこもって教科書とにらめっこし、自主的に作ったゼミで答練する日々が続いた。

得意教科もでき、ある程度の成果も出始めていた。成績も決して悪くはなかった。

しかし、1年間で上位10%の成績をおさめるという両親との約束は果たせなかった。

もう少し若ければまだチャンスはあったかもしれない。しかし、約束は約束だ。結果を残せなかった自分が全て悪い。

非常に残念だったが、私は再びサラリーマンに戻るべく、大学院を中退して再就職活動を行った。

苦戦を強いられたが、運よくある企業に転職することふができた。

「夢はかなわなかったが、再就職できただけでも運がよかった」と自分に言い聞かせ、社会人として再スタートを切ることになった。

この時はまさか、後の自分が無職40代中年バツイチ男として転落人生を歩むことになるとは夢にも思っていなかった。

そしていよいよ、絶望的な転落人生の序章が幕を開ける。

===========

スポンサーリンク
◆ 転職回顧録-倒産編2/8へ続く

やっと思いで内定のとれた再就職先。しかしまさか、ここから転落人生が始まろうとは…

中年フリーターが車窓から見た絶望的な風景【転職回顧録-倒産編2/8】
会社を辞めてからの再就職活動は困難を極めた。アルバイトが終わり、帰りのバスから眺める都心のビル群が見える。もうあそこには戻れない。
スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメント

  1. 樹愛 より:

    はじめまして。50代無職の男性です。
    非常に読みやすく、引きつける文章で一気に読み通してしまいました。
    ご苦労なさったのですね。今は自営の方に気持ちが向かっていらっしゃるかもしれませんが、現実に40代ならまだホワイトカラーへの転職は可能ですよ。ITスキルも高いようですし。現に私も50を越してから数社に転職できました。ただmiddle-manさんのような過酷な状況に陥ったわけでもないのに、ちょっとしたことで辞める癖がついてしまったんですね。(1社目だけは好調で10数年続きましたが)
    長くなりましたが今後も楽しみにしておりますので、宜しくお願い申し上げます。

    • middle-man より:

      樹愛様

      コメントありがとうございます。
      当ブログをご覧いただき本当にありがとうございます。

      樹愛さまのように私もなんとかもう一度、就職活動を成功させてこのブログで報告したいと思います。

      このブログの記事はもうしばらく就職活動の内容ばかりになりそうですが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。