Cafe de 無職へようこそ!
この転職回顧録は、40代無職・バツイチである中年底辺男のお話です。
新卒で入社した企業を辞めた後、自分にピッタリな会社に転職できたものの、そこは数年後に倒産。
苦戦しながらやっとのことで再就職を果たすも、クビ、パワハラで退職を余儀なくされました。
挙句の果てには、私に愛想が尽きた妻とは離婚してしまいました。
このブログは、転職に失敗した40代中年無職男が絶望的な転落人生を送る過去と現在の様子を綴ったものです。
それでは、絶望的な無職中年底辺男のブログをご覧ください!
40代・無職・底辺男になるまでの私
そもそも私は、学生時代に分子生物学を専攻していた。
わかりやすくいうと、組み換え遺伝子などを扱うバイオテクノロジーを専攻していた。
しかし当時はまだ、分子生物学を活かすことのできる就職先は狭き門で、そこに入社できる学生といえば、ごく一部の有名大学出身者に限られる。
地方大学出身の私には入社試験のエントリーすら難しく、かろうじて面接を受けさせてくれるのはベンチャー企業や地方にある小さな会社くらいのもの。
大企業で働きたいと思っていた私には、そうした企業には魅力を感じなかった。
今思えば、これは短絡的な考えで、中堅どころの食品関連企業の研究職を狙っておけばよかった。
ちょうどその頃はインターネット黎明期で、Windows95が大きな話題になっていた。もうずいぶん昔のことのように思える。
早々にバイオ産業に見切りをつけていた私は、これからソフトウェアの時代がやってくると確信していた。
また、田舎で生まれ育った私が都会に出る絶好のチャンスと捉えていた。
若かりし頃の無職中年底辺男。そんな私が新卒として就職したのはSE
そんな私が就職先として目を付けたのは、情報通信業界だった。
東京にある某大手通信メーカーにエントリーし、幸いにもSEとして内定をもらうことができた。
配属先はインフラ制御システムを構築する部署。
仕事にもやりがいを感じていたし、大手企業に就職したことに両親は安心していたと思う。
ただ、この頃は残業礼賛の風潮だった。まさに、『24時間戦えますか?』を地で行く業界だった。
1日のスケジュールはというと、始業直後から数件の打ち合わせが始まり、それが終わるのは夕方。
肝心の作業は17時くらいからスタートとなる。
そんなことをしていれば当然、帰宅は日付が変わる頃になる。終電間際にあわてて荷物を片付け、駅までダッシュする毎日だった。
サービス残業こそなかったものの、月の残業時間が150~200時間に及ぶことも珍しくなく、帰宅時間が深夜の2時を回ることもしょっちゅうだった。
そんな労働環境のため鬱になってしまう同僚も多く、ある日突然、出社しなくなるといったケースもたくさん見た。
さらに最悪なことに、私は社内でも有名な泥沼プロジェクトに放り込まれることになった。
右も左もよく分からない当時の私はこの状況をよく理解していなかったが、実際に仕事をしてみると、その大変さがよく分かった。
事実、プロジェクトをマネジメントする管理職は短期間で何人も代わっており、その仕事の過酷さを物語っていた。
実際、私も軽度の円形脱毛症になっていた(美容師に指摘されてはじめて知った。自覚症状がなかったようだ)。それだけでなく、白髪の量が一気に増えた。
40代無職男になるきっかけ
ちょうどこの頃、ニュースでは連日のように、新たな大学院の立ち上げ構想が大きく取り上げられていた。
いつ終わるとも知れない泥沼プロジェクトで働くうちに、私は精神的・肉体的にボロボロになっていた。
そして大学院の話題がニュースで取り上げられるのを目にするたびに、そこで勉強してみたいと考える様になっていた。
また、長時間の残業が当たり前のSE稼業を続けていれば、いつか体と精神のバランスを崩してしまうのではないかという不安が常にあったため、この状況から逃げ出したいという思いもあったのかもしれない。
そうこうしているうち、もう一度学び直したいという気持ちが抑えきれなくなっていた。
色々と考えた結果、自分の気持ちを両親に打ち明けた。
当然、簡単には理解を得られない。
何度も話し合いを重ねた結果、条件付きで大学院への挑戦を認めてもらうことができた。
その条件とは、1年間で上位10%の成績をとること。
それができなければ、再びサラリーマンに戻って安定した生活を送ってほしいと言われた。
確かにその考えには一理あるし、息子の将来を心配する親としてはもっともな考えだ。
その条件に同意することを前提に、私は仕事を辞めて大学院受験に挑戦することにした。
私は安アパートに引っ越し、テレビも処分して、入試に合格することだけを目標とする日々を送った。我ながら本当に一生懸命に勉強した。
そして勉強の甲斐もあり、なんとか希望していた大学院に合格することができた。
社会人から学生へ
大学院で勉強する分野は今まで学んだことのないものだったので、同級生に追いつくために必死だった。まさに一世一代の大勝負だ。
ほぼ毎日、学校の図書館にこもって教科書とにらめっこし、自主的に作ったゼミで答練する日々が続いた。
すると徐々に得意教科も増え、ある程度の成果も出始めていた。成績も決して悪くはなかった。
しかし、1年間で上位10%の成績をおさめるという両親との約束は果たせなかった。
もう少し若ければまだチャンスはあったかもしれない。しかし、約束は約束だ。
悪いのは結果を残せなかった自分だ。
非常に残念ではあったが、私は再びサラリーマンに戻るべく、大学院を中退して再就職活動を行った。
かなりの苦戦を強いられたが、『夢はかなわなかったが、再就職できただけでも運がよかった』と自分に言い聞かせながら何十社に履歴書を送り続け、なんとか運よく再就職を果たすことができた。
しかしこの時はまさか、後の自分が無職40代中年男として底辺をさまようことになろうとは夢にも思っていなかった。
そしていよいよ、絶望的な転落人生の序章が幕を開ける。
やっと思いで内定のとれた再就職先。しかしまさか、ここから転落人生が始まろうとは…
はじめまして。50代無職の男性です。
非常に読みやすく、引きつける文章で一気に読み通してしまいました。
ご苦労なさったのですね。今は自営の方に気持ちが向かっていらっしゃるかもしれませんが、現実に40代ならまだホワイトカラーへの転職は可能ですよ。ITスキルも高いようですし。現に私も50を越してから数社に転職できました。ただmiddle-manさんのような過酷な状況に陥ったわけでもないのに、ちょっとしたことで辞める癖がついてしまったんですね。(1社目だけは好調で10数年続きましたが)
長くなりましたが今後も楽しみにしておりますので、宜しくお願い申し上げます。