未経験で営業職になった結果…【転職回顧録-33】

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私の担当エリアは23区の一部と都心近郊だった


担当エリアには一部の23区が含まれているものの、その殆どは東京都下、横浜、相模原などだ。

しかも、そこにある会社は相当数に上る。

そのような場所にある会社は、23区の会社と比べて大きな相違点がある。
それは、訪問先が広い地域に点在していることだ。

23区内であれば次の訪問先までは徒歩5~10分の距離だったり、山手線で1~2駅ほど行けば到着することが多い。
しかし、東京都下、横浜、相模原など郊外の場合はそうはいかない。

移動手段がバスであったり、徒歩で30~40分以上かかったりすることはザラだ。
要は移動に時間がかかるのだ。

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そうなると結局、物理的・時間的に訪問先件数が伸びなくなる。
訪問先件数が少ないと上司からの指摘が入り、無理な目標設定を課されてしまう。

そんな状況に置かれると、お決まりの結末にたどり着くようになる。

つまり、日報の見栄えをよくするため、訪問先件数を稼ぐだけの中身のない仕事をするようになってしまうのだ。
私の場合も例外ではなかった。

全てが悪循環に陥っていたように思う。

また、それだけでなく、実際に客先へ訪問する際も困ったことが多くあった。
それは到着タイミングだ。

都心に近い会社であれば、到着が早すぎた場合、近くの喫茶店にでも入って時間をつぶすのだが、前述のように郊外では事情が異なる。
もちろん、田舎のにあコーヒーショップのような気の利いたものなどないから、待機する場所がない。

それに加えて、バスの本数自体が少ない。早すぎるからと言ってさらにその次のバスにすると確実に遅刻する。
だからやむを得ず、約束時間の1間前に到着することは日常茶飯事だった。

これが秋口や春先ならばまだよい。
近くの公園などで待機していればいいのだから。

これが、冬になると地獄のようだ。
外でコートにくるまり、ひたすら寒さに耐えるしかない。

晴れていればまだいいが、雨などが降っていると目も当てられない。
これは本当につらかった。

早く着きすぎてしてしまった場合、どうやって時間をつぶすかばかり考えていた。

そして、さらに困ったことに、遠方のエリア担当になると、支給された交通費がみるみるとなくなっていく。
なにせ、1回の支給につき5000円ほどしか渡されないのだ。

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23区内を担当している人たちに比べて、倍くらいのスピードでは交通費が消えていく。

交通費がなくなれば申請し、2週間ほどしてまた申請…
このサイクルを繰り返していると、上司や総務から暗に嫌味を言われるようになった。

大きな契約を取れていれば胸を張って申請することもできる。

しかし小さなサービスの契約を数えるほどしか取れていなかった私は、申し訳なさそうに申請するしかなかった。

自分が情けなかった。

ただ、私の担当エリアが遠方であることは汲んでほしかったのだが…

営業未経験の私には、外回りの仕事は向いてなかった

このとき、私が営業という仕事に対して抱いていた印象は、少しづつズレ始めてきていた。

「今日もたくさん歩いた割には何も成果がなかったな。また何か言われるな…」

そんな思いで帰社して日報を提出すると、案の定、上司から色々な指摘が入る。

「アポはどれくらいとれているのか?」

「随分と交通費を使っているようだが、それに見合う成果は出ているのか?」

「いつまでに何件の見込みがあるのか報告しろ」

毎日がプレッシャーとの戦いだった。

会社での成績は芳しくない。芳しくないというか、悪い。

上司への報告のたびに胃が痛くなった。
ドラマに出てくるようなダメサラリーマンの姿がそこにはあった。

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だが、仕事がうまくいっていないことは妻には言えなかった。
なぜなら、妻の前では仕事ができる男を演じていたいからだ。

だからといって、「今日も売れた!絶好調!」などとウソをつけるほど器用ではない。

そうなると、家での口数が少なくなり、妻との会話も減っていった。

妻もそのあたりは察してくれていたようだ。
むりに私を励ますでもなく、ごくごく普通に接してくれていた。

ただ、会話が少なくなって寂しそうにしていることは薄々感じていた。

そんな憂鬱な日々が続くなか、ある日、私のOJTを担当してくれていた先輩社員から衝撃的なことを伝えられた。(回顧録-34へ続く)

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