ここまでのおさらいと今回のお話
工場での派遣切りにあった私。
今まで対岸の火事だと思っていただけに、まさか自分の身にそれが起きようとは…
意気消沈の中、その日も塾でのアルバイトに向かった。
授業にもけっこう慣れてきたし、なにより教えるのは楽しい。
妻にもたびたび言われることだが、私は教えることに向いているのかもしれない。
そして授業が終わり、一息ついていると塾長から声を掛けられた。
まさか、工場に続いてこの塾でのアルバイトもクビを切られてしまうのか?
翌日も工場で働く
更衣室で作業着に着替えていると、Sさん(工場での派遣切り。不安だらけの生活。【転職回顧録-フリーター編9/36】参照)がやってきた。
私のことを気にかけてくれており、「奥さんのためにも早く転職先を見つけなさい」と心配してくれる優しい人だ。
Sさんはここでの勤務歴も長いことから、色々と内部事情にも詳しかった。
そこで、派遣切りにあった件を話すと、班のみんなが同じことを言われたということがわかった。
どうやら、同じ工場内で色々な現場に回されることはよくあることらしい。
次も同じ場所で働けるといいね、などと話しながら一緒に仕事へ向かった。
そして、就業後、派遣会社の社員に次の仕事の件について尋ねてみると、この工場内で別の作業案件があるので、その仕事を紹介してくれることになった。
Sさんの言っていたとおりだった。
時給は安くなり就業時間が少しだけ後ろにズレるということだった。
私のような無職中年男にとって時給が下がるのは非常に痛手だが、ダブルワークをするためにはその条件を飲まざるを得なかった…
派遣を続けていると、こうした負のスパイラルに巻き込まれるのだろう。
そして工場での仕事を終え、次の職場である塾へ向かった。
さて、この頃の塾での仕事は順調そのものだった。
担当生徒の顔と名前はもちろん一致しており、個々の性格も把握していたし、生徒も私になついてくれていた。
また、塾講師の仕事は派遣切りとは無縁と思っていただけに、安心していた。
まさか塾の契約も打ち切り!?
その日の授業が終わり、控室で一息ついていると、塾長から声を掛けられた。
前日の派遣切りの一件もあり(工場での派遣切り。不安だらけの生活。【転職回顧録-フリーター編9/36】を参照)、別室に呼び出されるたびに嫌な予感がしていたが、この呼び出しは別に契約打ち切りの話ではなかった。
なんでも、この冬に初開催する勉強合宿を行うので、そこに講師として帯同してほしいということだった。
心底、ホッとした。
合宿は塾の規模を拡大していくための初の試みだという。
しかし、実は私、この勉強合宿というものが嫌いだった。
必勝鉢巻を頭に巻いて、先生と生徒が合格するぞと叫んでいるシーンをニュースでよく見るたびに寒気がした。
もし自分に子供がいたしたら、そんなことは絶対にさせたくない。
それならばきっぱりと断れればよかったのだが、提示された日給は1万5000円。
とても魅力的だった。
一ヶ月の給料に換算すると、20日稼働で約30万。
まあ、合宿なので長くて一週間くらいだろうが、30万に匹敵するほどの好条件であることは間違いない。
それは無職にとっては高額なバイト代
交通費、宿泊費、食費はもちろん塾の負担。飯などはビュッフェ方式で食べ放題だ。
できることなら余ったおかずをタッパーに入れて持ち帰りたいくらいだ。
結局、お金の魔力に負けて合宿参加を快諾した。
ポリシーだけで飯は食えない。
ちなみに、合宿で使用するホテルは、ここからバスで1時間ほどのところだ。
冬場は閑散期なので割安で泊まることができるらしい。
その後、帰宅してから子供一人あたりの参加費や必要経費を基に、塾の懐に入る金額を計算してみた。
少なくとも数百万単位の額にのぼり、一回の合宿を開催することで相当の利益が出る。
塾経営者にとって勉強合宿はなかなかおいしいビジネスだ。
それならもうちょっと時給に還元してくれもいいのに…
なんにせよ、臨時収入の話が思いがけず舞い込んだため、その日は上機嫌だった。
工場でのアルバイトも最後を迎えた。その後の塾のアルバイトで私が生徒から受けた質問とは?