【無職中年男は再就職できるのか? 転職回顧録-6】無職は最終面接の結果連絡を待つ

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今日もまた何もない

いつものように求職者でにぎわうハローワーク。

私もその中に混ざって必死に仕事を探していた。

しかし、どれだけ時間をかけて検索しても、希望にあうものは見つからなかった。

「今日もいい求人がなかったなぁ…また明日も探さないとな…」

最終面接で課題を提出した会社からはまだ連絡がない。

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もしかして、私より先にハローワークに合否の連絡が行っているかもしれない。あまりに気がかりになって私はハローワークの担当者に聞いてみた。

「まだ連絡はありませんね」

まだモヤモヤする日が続きそうだ。

そして、その時点でどれくらいの応募があったかを聞いてみた。すると、まさかの200倍超え。

正確な採用人数は分からなかったが、少なく見積もったとしても内定者一人当たり50倍は下らないだろう。

もともと隅っこにあった求人で、舐めるように検索しなければ見つからないほどのニッチな会社だったが、それでもやはり見ている人は見ている。

ライバルは全国にいるのだ。

それにしても絶望的な倍率だ。でも、諦めきれない。

だからこそ、あれだけ頑張ったのだからという気持ちとこれまでもダメだったから今回もきっとダメだという気持ちが交錯する。

そんなことを考えながら、先の見えない再就職活動に溜息をついてハローワークをトボトボと出ようとしていたところ、電話がかかってきた。

だれからだろう?と携帯電話をポケットから取り出して着信を見た。

それは最終面接を受けた会社からの電話だった。

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合否の結果。はたして…

結論から言うと、まさかの内定だった。

驚きのあまり声が上ずってしまい、相手も少し笑っているのがわかった。

ここに至るまで半年以上かかった。応募件数は80を超えていた。

その間は夜勤の倉庫でアルバイト代を生活費を稼いだ。将来のことを考えると絶望しかなかった。東京を離れたくはなかったが、実家に戻ることもやむなしと考えていた。

そんな状況からやっと脱することができ、なんとか内定をつかみ取ることができたのだ。

本当に本当にうれしかった。

電話をもらってからもまだしばらくは信じられずにいたが、すぐに実家に電話して内定が出たことを伝えた。

その時の両親の喜び具合は相当なものだった。それほど私のことを心配していたのだろう。

これは後日談として聞いたことだが、父はこのとき私を実家に呼ぼ戻そうとしていたらしい。その矢先にこの内定が決まったということだった。

こうしたタイミングで内定が取れたのも、何かの縁かもしれない。

今になって振り返ると、この会社で働いていた時期が私の人生の中で最も充実してときだと思う。

それなりに結果も出して周囲からも認められていたし、私生活では趣味やボランティア活動にも精を出し、公私ともに充実していた。

その時はいわゆるガラケー全盛期で、それをターゲットとした業務内容だ。それまでのSEの経験をフルに活かせるというわけではないが、大いに役立った。

それだけでなく、色々なデータ分析も必要になったため、エクセルの深い使い方を独学して身に付けたのもこの頃だ。

誰もが知っている大手の会社と色々な交渉事を行い、東京でバリバリ働いているという大きな充実感もあった。

もちろん仕事では大変なこともあったが、同僚との人間関係も良好で、何かあるたびに一緒に飲みに行った。平均以上の給与ももらえていた。

働き始めて1年。働きぶりが評価され、給与も大幅にアップした。それを実家に伝えると、内定を伝えた時と同じように、とても喜んでくれた。

それまでは狭いワンルームに住んでいたが経済的に少し余裕も出てきたので、もう少し広いマンションに引っ越した。まさに順風万端。

唯一気がかりだったのが結婚のことだった。気がかりだったといっても私自信はそれほど心配していなかった。いつかは結婚できるだろうと焦りはなかった。

しかし、実家のほうがしきりに結婚を勧めてきた。もういい歳だし、収入も安定しているので次は結婚と考えていたのだろう。

そこで私もいわゆる婚活に励んだ。あまりうまくはいかなかったが、私はそれを楽しんでいた。婚活パーティーに行くと色々な女性を知り合え、それが楽しかった。

お見合いもしてみたが、どうもクセの強い人が多く、私には向かなかった。

結局、友人の紹介で今の妻と知り合い、東京でささやかだが満足のいく結婚式を挙げた。

散々両親に心配をかけてきたので、それへの罪滅ぼしという意味もあり、貸し切りタクシーで一日東京観光などを企画し、できる限りの親孝行をした。

もっとお金が貯まったら、実家と義実家で海外旅行に招待しようとも思っていた。

この頃は明るい未来を信じて疑わなかった。

数年後、そんな社内に激震が走ることになる。それは「倒産」だ。

それまでも時々、冗談交じりに同僚とそんな話をしてはいたものの、あり得ないものとタカをくくっていた。しかし、それが現実のものとなろうとは。

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なぜ、もうすぐ倒産してしまうことが分かったかというと、早期退職者の募集が行われたからだ。
そもそも、余程の大手でない限り、早期退職者の募集は倒産の前兆だ。

よくある話だが、この早期退職に応募すれば、退職金を割り増しして支払ってくれるらしい。
「まさかこんなことになるとは…」

私は、目の前が真っ暗になった。

結局、私を含め、半数以上が早期退職に応募することとなった。
この会社での勤務は7年間だった。

いい会社だったと今でも思う。定年までずっとここで働いていたかった。

現実は厳しい。人生はなかなかうまくいかないものだ。(回顧録-7へ続く)

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