ここまでのおさらいと今回のお話
合宿も無事終了し、私は帰宅した。
そしてもうすぐ大みそかを迎える。
一応、折り合いの悪い義実家に形だけのあいさつを行った。
しかしあまりノンビリはしていられない。それは年が明けると受験シーズンに突入するからだ。
私は塾講師として、いつもより気を引き締めるのだった。
三泊四日の合宿、無事終了
帰り道には喫茶店で一息ついてから帰宅し、ベッドに倒れ込んだ。
翌日は大晦日だった。
無職でもこの日くらいは年の瀬の気分を味わいたい。
本当ならば妻と帰省して実家の両親に顔を見せたいところだが、残念ながらそのお金がない。
親不孝は重々承知だが、実家には電話であいさつしただけだ。
その日はゆっくりと過ごすことにして、翌日は義実家に訪問することにした。
40代無職ということもあり、義実家での居心地は悪かったが、正月のあいさつをしないわけにはいかない。
そんな私の気持ちに反して、義父や義母も私を迎え入れてくれた。
おそらく、再就職を目指して年末も頑張って働いた姿勢を評価してくれたのだろう。
しかし、困ってしまうのが現状や今後の見通しを報告する瞬間だ。
なにせ、時間があれば色々な媒体で応募していたものの、手応えが全くない状態だ。
『まったくダメです』とは言えないし、『もうすぐ内定が取れそう』とも言えない。
なので、今後の見通しについて、どう答えてよいか困ってしまう。
『面接までは行くのですが…』くらいがベストなのかもしれない。
幸いなことに今年の大みそかは、そこまで突っ込まれた話はなかったが、やはり居心地が悪い。なんとかその場をしのぎ、帰宅した。
精神的にグッタリしたので帰宅後はゆっくりしていたかったが、そうはいかない。
正月二日から、さっそく授業が予定されているからだ。
年明けの塾講師は忙しい
2月・3月が受験シーズンとなる。稼ぎ時でもあるので、色々と準備をしなければいけない。
そもそも入試は解いた過去問の数が合否を分けるといっても過言ではない。
そのため、私が担当しているクラスでも過去問を分析し、年明けから授業で解説しなければならない。
最初は問題を見れば解けるだろうとタカをくくっていたが、実際に問題を見てみると、すぐには解けなかった。
数年のブランクがあるため、頭が大分鈍っているようだ。
しかし泣き言は行っていられない。大急ぎで5年分の問題を分析し、授業用ノートを作った。
最初こそ悪戦苦闘していものの、何年分もの過去問を解いていると、出題の傾向がつかめてくるし、解き方もパターン化していることがわかる。
こうした作業は大変だが楽しいもので、あまり苦にならない。
きっと、長く続けられる仕事とはこういうものなのだろう。
そんな時、塾のプロ講師という選択肢も頭をよぎったが、それはないと思った。これはあくまでつなぎの仕事だ。
実はこの時、塾長から契約社員にならないかと声を掛けてもらっていたが、私には進みたい道があったため丁重にお断りした。
後悔するかもしれないが、自分のやりたい仕事を優先することにした。
さて、これから生徒は、生まれて初めてといってもいい入試というプレッシャーと戦っていくのだろう。
私は塾講師として、そのプレッシャーを少しでも軽減できるよう手助けしてあげなければならない。
生徒のことも気になるし、自分の将来のことも気になる。
今年はどんな年になるか、期待と不安が入り混じった気持ちで新年を迎えた。
父が実家から上京してきた。私が受け取った母からの手紙に私は涙することになる。