無職中年は母親の気持ちに涙が出そうになった。【転職回顧録-フリーター編19/36】

年が明け、父が田舎から上京してきたので、妻と私とで美術館などを案内することにした。

しかし、父が上京してきた本当の目的は、私が今どういった状況であるかを顔を突き合わせて確かめたかったのだろう。

そして私は、父から託された母からの手紙を見て涙が出そうになった…

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年が明けて…

父から電話があった。

近々、仕事の関係で父が上京してくるという。
しばらく顔を見せていなかったので、そのついでに一度会おうということになった。

妻はあまり会いたくなさそうだったが、そういうわけにもいかないのでなんとか説き伏せて一緒に会うことにした。

待ち合わせは丸の内。

そこから簡単に都内を案内し、父が見たいと言っていた美術館に行ってきた。

そして、館内をひととおり巡った後、近くの喫茶店で休憩することにした。

あの時、父はどんな想いでいたのだろう。

無職の息子が心配で、美術鑑賞を楽しむどころはなかったのではないだろうか。

話題はもちろん私が仕事を辞めたことや(40代無職は再就職できたのか?その結末は…【転職回顧録-迷走編17/18】ダメ営業マンはクビ!また無職になった。【転職回顧録-営業マン編18/19】を参照)、今後のことなど。

そして現在は、工場と塾を掛け持ちしてアルバイトしていることを話すと少し驚いていた。

また、転職サイトやハローワークで就職活動はしているが、「サラリーマンに向いていないのかもしれない。」ということも正直に話した。

ただ、このことは母以外には話さないでいてほしいとお願いした。

父は少し悲しそうな表情を受かべて、「そうか」とだけ言葉を漏らしたのが印象的だった。

義実家でも同じようなことは話していたが、実の父親に自分の状況を話すのが一番つらかった。

40歳を超えたいい大人が無職でアルバイトを掛け持ちしているのはあまりにも恥ずかしいし、情けない。

一向に先が見えないなかで私はどうしたらいいのだろうかと悩みは尽きない。
また、新しいことをするにも何をしたらよいか皆目見当がつかない。

かといってこのままアルバイトを続けるわけにもいかない。
完全に人生の方向性を見失っていた。

父は「そのまま塾に就職したらどうか」と言っていた。
おそらく父は、塾講師として勤務することを想像しているのだろう。

しかし教育産業に就職するということは講師として働くのではなく、塾の運営者として働くことなのだ。

私は教室の運営には全く興味がないし、営業スキルを問われる仕事はもうたくさんだ。

手紙に綴られた母の気持ち

その場はとりあえず、これまでの実務経験を活かせるような仕事を探していくと伝えてその日は別れた。

帰り際、母が書いたという手紙を渡された。

面と向かって会うのはつらいということで、気持を手紙にしたためたものだという。

そこにはこう書かれていた。

「あなたが結婚して順風満帆の生活を送ることができ、本当に嬉しかった。でも、仕事がダメになったことを知り、最近は気分的にふさぎ込むことが多くなった。早く次の仕事を決めてください」

母にも心配をかけていることはもちろん分かっていたが、手紙で気持ちを伝えられると余計に辛かった。

塾での指導が楽しいと言っているのは一時のことで、無職という根本的な原因は何一つ解決はしていない。

この手紙でそれを突き付けられた気がした。

しかし、意気消沈ばかりしていられない。
空元気でもいいから前を向いて、なんとか早く就職先を決めねばならない。

確か、以前帰省したとき、母は新しい財布が欲しいと言っていた。
なんとしてもその財布を買ってあげたい。

その役目を果たすべきなのは私だ。
再就職を果たして給料を貯めて、早く財布を買ってあげたい。

良くも悪くも、母からの手紙で前を向かなければと考えることができた。

今度、母と電話でゆっくり話してみようと思いながら帰路に付いた。

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◆ 転職回顧録-フリーター編20/36へ続く↓↓
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合格のため必死になって勉強に取り組む生徒を見ていると、私自身ももっと頑張らなければならないと気持が引き締まる思いがした。
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