ここまでのおさらいと今回のお話
ドキドキしながら面接の控室で待機していると、ついに私の名前が呼ばれた。
やることはやった。準備万端だ。この企業から内定がとれれば、人生が好転し始めるかもしれない。
そう思いながら面接室へ入っていく私。はたして結果はどうなるのか?
人生を賭けた面接
そして、遂に私の面接の番が来た
少し緊張気味で面接室に入ると、そこには女性の面接官二人が私を待っていた。
予想に反して、フランクな雰囲気で面接が進んだ。もっとピリピリするようなやり取りを想像していた私は少々肩透かしを食らった。
まず志望理由と前職の退職理由を質問されたので、事前に考えていたとおりに回答した。
また、会社に入ってやりたいことを聞かれたため、スポーツに特化したコンテンツについて、今後の展望と発展性を提案してみた。
面接官もこの答えに食いついてくれたため、手応えを感じた。
面接が無事に終わり、帰り際はウキウキだった。手応えは十分だった。
ドトールでコーヒーを飲んで休憩したあと、さっそく今日の面接の出来栄えを妻に電話で伝えると、「うまくいくといいね」と励ましてくれた。
「ここで働けるようになったら、あれを買いたい、あそこに旅行に行きたい。」
そんな妄想が膨らんでいた。
待ちに待った結果連絡
二日後、この会社から「面接結果について」というタイトルのメールが届いた
私はここで面接に落ちたことを悟った。
このようなタイトルのメールは十中八九、不合格を知らせる内容だ。
無職中年は無駄な知識ばかり増えて困る…
実際、メールを読んでみると、予想とおり、不合格の連絡だった。
面接での受け答えには特に落ち度はなかった。
にもかかわらず落ちたということは、私が会社でやりたいことに対して、先方は魅力を感じなかったということだろう。
私の年齢がまだ30代前半ならば、もしかしたら展開は違っていたのかもしれない。
しかし、40を超えた年齢を考えると、それでは物足りなかったようだ。
この時点で私の心は折れかけていた。
どんなにコツコツとまじめにやっても、それは受け入れられないのだ。
推敲に推敲を重ねた履歴書や職務経歴書を作り、運よく書類選考に通過したとしても、面接ではじかれてしまう。
自分のキャリアの薄さを嘆いた。
この先、どうすればいいのか、もう会社員として働くことはできないのか。
人生とはこうもうまくいかないものか。
きっと、志望校に落ちてしまった塾の生徒たちも、今の私と同じ気持ちだったのかもしれない。
夕食時、妻にこのことを告げると、残念そうな顔をしていた。
そして『もうしばらく塾の先生を頑張るしかないね』と励ましてくれた。
この時は2月の半ばだった。
翌日、私は重い足取りで塾に向かった。
この時期は2月上旬を過ぎ、受験生は必死に追い込みをかけている。彼らの前でしょんぼりした顔つきで授業をするわけにはいかない。
そこが塾講師のつらいところだ。
しかし、強制的に気持ちを奮い立たせることによって、自分自身の就職活動をまた前に進めることができる。
そういう意味では、ありがたい職場だ。
その日も授業を終えて帰宅し、また求人を探す日々が続いた。
転職サイトの求人はあらかた探しつくしていたので、翌日の朝、久々にハローワークに行ってみた。
開庁時間と同時にハローワークに入り、早速、検索してみた。
すると、見慣れた企業名がずらずらと検索結果に表示された。
溜息をつきながら、しらみつぶしにめぼしい求人を調べていると、見慣れない求人を一件見つけた。
内容をよく見てみると、一日前にハローワークに登録された企業のようだった。
募集職種も私の職務経歴を活かせそうだ。
これはチャンスかもしれないと思い、さっそく求人票を印刷した。
私が見つけた求人は仕事内容こそ自分の経験を活かせそうなものの、その企業サイトが見つからない。また提供サービスもイマイチよく分からない。そんな不思議な企業に応募してみることにした。